無人航空機
生田修平
プロローグ
革命とはおおよそ想像もできなかった状況が生まれることである。大きな変化でも現時点で誰かがが思いつくようなものは革命とは言わない。2020年代、人工知能(AI)による「知能の産業革命」と並んで、無人航空機(ドローン)による「空の産業革命」が起きた。これらの革命の成果が実感できるようになった2030年代の物語である。
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片山翔は2010年生まれ。ちょうど、10代に20年代の両革命を目のあたりにした。人工知能と違い、目に見える有形物である無人航空機は翔の心をとらえた。無人航空機は〝空〟という地上の何十倍、いや何百、何千倍のスペースを様々に活用し、世の中を劇的に変えていった。
無人航空機に携わる職業に就きたい――2025年、高校1年生の時、翔はそう考えるに至った。無人航空機の普及が加速しだした頃だ。メディアは連日、無人航空機を取り上げた。
「警備員要らず 走る警備ドローン~目が行き届かないところも監視」
「兵隊不足でもロシア・ウクライナ戦争長期化 ドローンフル活用が要因」
「AI+ドローン 無人でも大規模農園メンテナンス」
無人航空機の急激な普及を後押ししたのは、当時、深刻だった人手不足だ。とにかく、働き手がいない。何とかしなければ、事業を続けられない。必要に迫られれば、人間、あらゆる知恵を絞りだすが、そこに無人航空機の活用がピッタリはまったのだ。
人工知能ともタッグを組み無人航空機は深刻な人手不足をバッサバッサと解消していった。無人航空機をちょこっと使う段階から、使うのが当たり前となった。人工知能を兼ね備えた無人航空機は自分で最適な方法を考えながら縦横無尽に飛び回った。人間より、速く、正確に業務を遂行した。トラブルが起きても、人間よりスムーズに解決する始末だ。
翔は10代という多感な時期にこうした活躍を眺めながら、無人航空機関連の職へ気持ちをますます強めていった。高校のクラスは理系クラスを選択し、大学では航空工学科で無人航空機を専攻した。30年代に入り、いよいよ就職活動を始めることになった。
ところが、というか、当然の帰結として、就活生には大逆風が吹き荒れていた。人工知能と無人航空機による勝省人・省力化は想像を絶するものだったということなのか。20年代の人手不足が嘘だったように、30年代は人が余っていたのだ。単純労働だけでなく、研究・開発やクリエイティブな仕事まで機器に取って代われられ、有効求人倍率は歴史的低水準となった。むろん、新卒の就職戦線も極端な買い手市場の様相を呈していたのである。
おおよそ想像もできなかった状況が生まれる――人工知能と無人飛行機が引き起こしたのは、まさしく「革命」だった。
翔の就職活動は難航を極めた。無人航空機に憧れ、職にしたいと切望する青年が無人航空機の果実に苦しめられるとは何とも気の毒だ。
果たして、翔は無人航空機の会社に就職することができなかった。何とか内定をもらえたのは、よりによって金融機関だった。無人航空機は色々なビジネスで活用されていたが、ほとんど活用されていないのが金融機関だ。一部、損害保険関連で災害の被害状況を調査するために無人航空機を活用しているケースがあるくらいだ。翔が内定をもらった金融機関では無人飛行機に関連する業務は皆無だった。
翔の夢はかなわなかった。内定時、経緯を知っている人事担当者は「現在、うちで無人航空機を利用していないということは、伸びしろがあるんじゃないか」「夢を目指して頑張ってきたことは絶対に生きる」と慰めてくれた。この人事担当者はとてもいい人だった。
翌春、大学を卒業し、初出社した。翔は個人融資の部署に配属されることになった。内定の時、慰めてくれた人事担当者が名刺を持ってきた。なぜか、ニヤニヤしている。名刺には部署名と担当業務が記載されてあった。
○○信用金庫
個人融資課 カー〝ドローン〟担当
片山 翔
人事担当者の〝おいた〟に翔は何だかすがすがしい気持ちになった。「いい会社に入ったのかもしれない」――そう思った。
完
(文字数1,669字)