第706回 たそがれ清兵衛

第706回 たそがれ清兵衛

平成十五年一月(2003) 渋谷 エルミタージュ

 山田洋次といえば喜劇映画の巨匠である。一九六〇年代にハナ肇が主演した馬鹿シリーズが私は大好きだ。喜劇以外にも『霧の旗』のようなシリアスな名作もあるが、『男はつらいよ』が延々と続いたために、渥美清が存命中は寅さん以外の作品はさほど注目されなかったように思う。少なくとも私は喜劇以外の山田洋次作品にはあまり興味がなかった。
 その山田洋次が本格的な時代劇『たそがれ清兵衛』を監督した。もちろん、山田洋次監督の時代劇はこれが最初ではない。馬鹿シリーズ全盛の頃、ハナ肇主演で『運が良けりゃ』という江戸落語の世界を映像化した髷ものコメディがある。時代劇というより、馬鹿シリーズの江戸版であろう。山田洋次の落語好きは有名で、落語台本も書いている。 
 そこへいくと、藤沢周平原作の『たそがれ清兵衛』は喜劇ではない。実に丁寧にリアリズムが追求されて、まるで幕末の東北、庄内をドキュメンタリーで追っているような本物の迫力を感じる。そこにいるだけで武士に見える真田広之の存在感。東北訛りの武家言葉。当時の日本中のどこにでもいたであろう地方の武士の家族や日常が丹念に描かれている。  
 主人公の井口清兵衛は微禄の下級武士。清貧で誠実、手習いに通う長女から針仕事は実用だが、学問はなにかの役に立つのかと尋ねられ、学問すれば自分の頭で物事を考える力になると答える。一日の勤めが終わって同輩に酒食に誘われても、断ってすぐに帰宅する。病気だった妻の治療代や葬儀に金がかかり、借金も抱えているので、酒食に付き合う余裕はなく、たそがれ時に帰宅するのでたそがれ清兵衛と揶揄されている。 
 宮沢りえ演じる幼馴染の朋江が離縁されたことから、大杉漣の元夫を果し合いで叩きのめし、剣術の腕が優れていることが藩内で知れ渡る。藩主の死で派閥争いに敗れた一派が処分され、中にひとり切腹を拒んで屋敷に立てこもる剣客がいて、清兵衛はこれを討つよう命じられる。最後の屋内での剣の対決で相手役となる田中泯の凄まじさ。  
 緻密に描かれた地方の藩の武家社会は、現代の会社員や公務員の暮らしに驚くほど似ているのではないか。小市民の生活はいつの時代も普遍的ということか。

たそがれ清兵衛 2002 監督:山田洋次 出演:真田広之、宮沢りえ、田中泯、小林稔侍、岸恵子、大杉漣、吹越満、深浦加奈子、神戸浩、草村礼子、嵐圭史、中村梅雀、赤塚真人、佐藤正宏、尾美としのり、丹波哲郎

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