
『伝説の将軍 藤原秀郷〈新装版〉』
(野口実、吉川弘文館)
藤原秀郷といえば、平将門を討った武将として有名です。また、ムカデ退治の田原藤太秀郷としても有名です。
ただし、本書は同じ出版社で発行されている「人物叢書シリーズ」のような人物評伝ではありません。タイトルにある「伝説の将軍」、つまり藤原秀郷の伝説がどのようにして出来上がったのかを述べたものです。
とはいえ、そのことによって藤原秀郷の子孫の活躍と併せて中世の武士発生の一面を知ることができます。
武士の発生は、平安時代中期に地方社会の変動と王権の軍事需要が結びついて生まれた現象であるといわれています。本書では、群党蜂起の鎮圧武力として、都での地位向上の可能性を失った王臣貴族の一部が、都市の名工による優秀な武器と「武芸のプロを郎党として都から伴い、群党蜂起の鎮圧に当たって留任の地ならしを進めた」結果、その成果として彼らが在地豪族の婿となって地盤を形成していったものが、やがて武士として成長していく素地となったと述べています。
秀郷の「曾祖父藤成が下野に下って国衙の史生を勤める在地豪族鳥取業俊の婿となったのも、そのような努力の証であった」ようです。
秀郷は魚名流藤原氏の子孫です。藤成の子豊沢(秀郷の祖父)も下野の史生鳥取豊俊の娘を妻とし、その子村雄は、下野掾鹿島氏の娘を妻としています。その子が秀郷なのです。
祖父豊沢は下野少掾、父村雄は下野大掾でした。掾とは国府の三等官ですから、藤成から三代にわたって下野に地盤を築いていたのです。
平将門の乱当時、下野掾・押領使だった秀郷は、平貞盛とともに征討軍が到着する前に将門を討ち取り一躍名を上げます。
このことが、秀郷、貞盛の「子孫は地方だけでなく『都の武者』=中央軍事貴族としても活躍し、国家軍制のなかで明確な役割を与えられるようになる」こととなります。
ただし、将門も平氏一門として同じように常陸を地盤としており、秀郷が将門になっていたとしてもおかしくはなかったのです。
将門の乱後、平貞盛は都を活動の中心として、いわゆる都の武者となりますが、秀郷は乱後の褒賞も含めて一度も上洛しませんでした。しかしながら、俵藤太秀郷の舞台は、近江国瀬田の唐橋です。秀郷と近江国との接点はどこにあるのでしょうか。その理由は、ぜひ本書でご確認ください。
ところで、秀郷は本当に都とは無関係だったのでしょうか。例えば、平将門は藤原忠平に仕えていますが、本書では、秀郷は源高明と関係をもっていたのではないかと推測しています。
秀郷の子千晴は、都の武者として活躍していましたが、源高明の安和の変後に失脚しています。その背景は武蔵国における軍事貴族間の軋轢があり、源満仲が藤原氏と結んで千晴の失脚を謀ったのではないかという仮説を立てています。
奈良時代から武芸に秀でた者は存在していました。彼らは、武芸を職能とする者となり「そのうち最も洗練され高度な技術を保持したのが近衛府の下級官人たち」でした。先にみた東国の群党蜂起鎮圧にあたった王臣貴族に従った者たちがまさにこの近衛官人のおちこぼれ集団から供給されたものだったのです。
そう聞くと、ちょっとユニークなキャラを造型できそうですね。
秀郷の孫文翛、その子兼光、その子頼行と三代にわたって鎮守府将軍に任じられます。文翛の子文行以降は、検非違使や衛門府の役人となり、この流れは秀郷流藤原氏の本流と見られていましたが、佐藤義清(西行)で終わってしまいます。
当時、西行こと佐藤義清は秀郷流武芸(弓馬の道)の継承者として知られ、源頼朝がわざわざ招いてその武芸について訊ねたことが『吾妻鏡』に記されています。
本書でもそのことに触れていますが、「中世的な武芸が形成されたのは11世紀の前半」と考えられており、藤原秀郷が特に弓射(武芸)の達人というわけではありませんでした。
しかしながら、鎌倉武士たちにとって、将門を討ち取った秀郷は、武芸(弓馬の道)の開祖と仰がれており、その故実が求められていたのです。
そうした背景もあり、頼朝が西行に秀郷流の武芸故実を訊ねたものと思われます。西行は満22歳のときに出家しますが、出家前から北面の武士として諸芸万般の生き字引であったと言われており、先祖の残した記録から先例・故実を学んでいたとはいえ、その本質は先に述べた近衛官人の武芸だったのではないでしょうか。
ちなみに、西行後に秀郷流藤原家の本流と見なされたのは、奥州平泉の藤原氏であり、最盛期を現出した秀衡の「秀」は、秀郷の「秀」ではないかと本書では述べられています。
奥州平泉の藤原氏が滅亡後は、下野の藤原流足利氏、その足利氏が源氏の足利氏に破れた後は、小山氏が秀郷流藤原氏の本流と見なされたようです。
本書の目次は以下のようになっています。
プロローグ
一 秀郷を育んだ風景
1 秀郷の本拠
2 王臣貴族は東国をめざす
3 桓武平氏と一字名の源氏の活躍
4 南家黒麻呂流藤原氏の場合
5 父祖の足跡
二 秀郷の登場
1 平将門の乱
2 将門の乱以前の秀郷
3 将門の乱と秀郷
三 秀郷流藤原氏の成立
1 将門の乱後の秀郷
2 安和の変と藤原千晴
3 坂東における藤原千晴・千常
四 鎮守府将軍と藤原秀郷
1 鎮守府将軍
2 利仁将軍の群党党伐譚
3 利仁と秀郷
五 「都の武者」秀郷流藤原氏
1 文翛の追討、文行の闘諍
2 粗暴な武者、勤勉な官人
3 北面の家、佐藤氏
4 西行の武芸
六 秀郷の武芸故実
1 秀郷故実と神座武士
2 秀郷故実の実態
3 秀郷流嫡家小山氏の成立
七 秀郷流藤原氏の展開
1 平泉藤原氏
2 奥州信夫郡司佐藤氏
3 首藤氏
4 波多野氏
八 俵藤太説話の形成
1 『俵藤太物語』の構成
2 俵藤太秀郷の造形
3 秀郷の遺品と史跡の創作
4 秀郷の評価
エピローグ
藤原秀郷を知ることは、武士の発生と活躍を知ることと同じです。
本書を読んで、私はかつての大河ドラマ『風と雲と虹と』(1976年1月4日~12月26日(全52回))を思い出しました。
確か主人公の平将門を演じていたのは、俳優の加藤剛でした。そして、藤原秀郷を演じていたのは名優露口茂でした。
このドラマは、海音寺潮五郎の『平将門』と『海と風と虹と』を原作としており、脚本は福田善之でした。
うーん、懐かしい!


