にゃんと、朝鮮出兵で猫七匹も連れて行った
武将「島津義弘」の話
(「どうぶつ愛護の物語集」より)
石井建志
動物好きの武将と言えば、まず思い浮かぶのは「犬公方」と呼ばれる江戸幕府5代将軍「徳川綱吉」。「生類憐れみの令」を発令して犬猫だけでなくウサギ、ドジョウや虫まで様々な動物を保護した。
今の時代のようにゴキブリとか毛虫など叩いて殺したらどうなるのか?投獄、流罪、江戸からの追放、死罪やさらし首と言った極刑まであったようだ。あー恐ろしい時代だ。
それは行き過ぎだったとしても、動物を愛した武将の記録は多いように思う。
「豊臣秀吉」も大阪城に愛猫がいたというシーンを何かで見聞きした。「独眼竜」の異名を持つ戦国武将の「伊達政宗」も猫を大変可愛がっていたという記録もある。
好きだったかどうかは別として、猫に助けられたという逸話もある。招き猫の伝説では、猫の招きで落雷に助けられ命拾いしたという豪徳寺に残る「井伊直孝」の物語。また、黒猫に導かれて命からがら自性院に辿り着いたという「太田道灌」の物語もある。
猫と武将の奇妙な共演——そんな話があったら面白いと思わない?ところが実際にそんな逸話があった。
先日、鹿児島に旅行した。
鹿児島と言えば、島津の殿様。島津家の別邸「仙巌園」に行ってみた。
敷地内の一角に日本で唯一とされる猫を祀る「猫神神社」がある。元々は鹿児島(鶴丸)城の北の護摩所にあったが、明治初期に仙巌園に移築されたもの。
これを調べていったら、面白い物語を発見した。
「島津義弘」の物語だ。
1535年、島津家15代当主・島津貴久の次男として現在の日置市に生まれる。幼い頃から武芸に秀でて、数多くの戦いで活躍している。
1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いでは、西軍(豊臣軍)が総崩れになる中、最後まで戦場に残っていた島津義弘隊が敵中突破による前身退却を敢行したという「島津の退き口」という戦法が有名な話で、1,500人の兵士が数十人しか残らないという多くの兵士を失う事態になったが、薩摩に島津の基盤ができる切っ掛けとなった。
話は1592年から1598年の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に遡る。
「鬼島津」として異名を轟かせた薩摩の猛将「島津義弘」は戦場での疲れを癒してくれる愛猫たちに深い愛情を注いでいた。戦場で轟くその名と猫たちのふわふわしたイメージのギャップが、なんともシュールな話だが、朝鮮出兵にも義弘は何と七匹の猫たちも連れて行ったのだ。それは、単なる気まぐれではなく、戦略的な側面も含まれていたという。
義弘は戦の合間に猫たちに触れることで心を穏やかにし、冷静な判断を下す力を取り戻していた。
例えば、義弘が戦闘の準備をする中、黒猫のヤスが陣幕の上に座り込み、義弘の膝でゆったりと丸くなった。
「今日も危ない目にあったニャン♪」
などと猫を撫でながら、猫撫で声を発する義弘。束の間の癒やしの時間だろうが、デレッとした顔がとても凜々しい武将には見えないのだ。ただ一方、兵士たちにとっては、その光景を見ると、「大将はこの戦いに絶対の自信を持っている」と安心し、士気が高まったのだ。
また、猫たちも実際に戦役にも加わっていた。朝鮮の湿気が高い気候の中、猫の瞳の動きを観察することで、昼夜や天候の変化を察知するという古来の知恵を義弘は巧みに利用していた。
七匹の猫たちはそれぞれ異なる毛色や体格を持ち、兵士たちにとって幸運の象徴ともなった。
また、三毛猫のミケは伝説級の活躍を見せる。ある晩、敵軍の奇襲を察知すると、疾風のごとく義弘のもとへ駆け戻り、何事か伝えるように目力ビーム。義弘はその眼差しを読み取り、即座に防御を展開。結果、大勝利。猫が救世主になった瞬間だ。これには後の世、「猫は神兵か?」と冗談混じりに語られるほど。
「泗川(しせん)の戦い」と呼ばれたこの役で、朝鮮の明軍2万兵に対し、7千の兵で撃破ったというから快挙であり、猫が救世主となった。
(いや神?だから猫神神社なのか?)
朝鮮出兵が終わり、7匹の猫のうち2匹の猫が生還した。ミケとヤス、この猫たちは義弘の屋敷で愛され続けた。
義弘は愛妻家でもあったようだ。朝鮮から妻の宰相夫人に宛てられた手紙には、
「今夜もあなたを夢で見てしまったよ」
「ちょっとしたことでも手紙で知らせて下さい」
と書かれていた。
猫が好き、妻が好き、なんと家庭的な武将であろうか? 戦場では鬼、家では優しい旦那様だったことが垣間見える。
そういう姿は薩摩の人々にとって、義弘は戦場の英雄でありながらも、どこか人間味溢れる存在だったことであろう。猫神神社で祀られる猫たちとともに、今でもその伝説は語り継がれている。
ところで、何で島津義弘は戦場にわざわざ7匹も連れて行ったのだろうか?猫カフェ気分でもあるまいし。筆者も義弘が血みどろな戦場で癒やされたい気持ちは分かる、いや、愛猫に危険を晒すことにならないか? でも1匹や2匹ならばもしかしたら直ぐに戦死してしまうかも? などと考えが堂々巡りだった。
実は戦場に猫を連れていった理由というのは、癒されるためではなかったという。猫の瞳孔の開き具合で時間を推測するためだとか。
猫の目は光の量を調整するために、朝と夕方になると丸く(大きく)なり、正午近くは縦に細くなって線のようになる。曇りで薄暗いと正確性はないらしいが、光の量で大凡の時刻が分かると言い、義弘が猫を連れて行った理由は「時刻を知るため」だったようだ。
なんだ、武将と猫の愛のような話をしておいて・・・とブーイングされそうだが、猫を可愛がっていたのは事実で、結果的に猫の働きで勝利できたという美談、桃太郎と動物たちのような話のようにも聞えるが、日本で唯一の猫神神社があることに、人間と動物の絆を感じた、とても良いお話だと思いませんか?
完
(文字数2,355字)