生田修平 「フルネーム」

PDF版で読みたい方はこちら

フルネーム

 
生田修平
 
 子どもの頃、吉太郎じいちゃんから聞いた話である。吉太郎は横浜の貿易会社に勤めていた。時は、1960年代後半。ファックスも普及しておらず(註)、連絡はもっぱら電話だった。
 この会社は食品、雑貨、書籍などどちらかというと少額品を扱っていた。吉太郎は輸出も輸入も担当。少額だけに件数は多く、忙しかった。通関業者のH運輸には頻繁に電話した。ピーク時は5分おきにダイアルを回し、1日に100回を超える日も少なくなかったほどだ。
 H運輸の担当は田村俊之(タムラトシユキ)という30代の男性だった。吉太郎がH運輸に電話すると、田村が直接出る時もあるし、他のスタッフが受話器を取った場合、「田村さんお願いします」と言うと、田村に代わってもらう。どこにでもある光景である。
 ところが、ある時期から変化が起きた。
 まず、田村が直接出ることが滅多に、いや皆無になった。さらに、「田村さんお願いします」と告げると、「どちらの田村ですか」と返してくるようになった。吉太郎が「田村俊之さんです」と指名すると、すぐに担当の田村が出るの    だが、何度電話しても、「田村さんお願します」には、「どちらの…」と返ってくる。
 推察するに、もう一人、田村姓の社員が加わり、下の名前の確認が必要になったのだろう。しかし、吉太郎の担当が田村俊之であることは明白だ。わざわざフルネームを言わせなくとも、つないでくれればよさそうなものだが、とにかく苗字だけでは通してくれなかった。吉太郎はフルネーム確認のやり取りが煩わしくなり、最初から「田村俊之さんお願いします」と指名するようになった。
 そんなある時、書類の提出にH運輸に出向く機会があった。田村俊之は外出中だったので、アシスタントの女性に書類を受け取ってもらった。その時、おそらく最近入ったもう一人の田村に挨拶しようと思った。吉太郎がその旨を伝えると、女性はややニヤつきながら「当社の田村は田村俊之ひとりでございます」と言い張った。
 どういうことなのか。ならば、フルネームを確認する必要はないではないか――。私は不可解な気持ちになったが、ここで女性を追及するわけにもいかず、事務所を後にした。
 帰社後、早速、田村に電話する用事ができた。今回は俊之を省き、「田村さんお願いします」というと、相変わらず「どちらの田村ですか」と返ってきた。吉太郎はさすがに「田村性は複数いるのですか」と突っ込んだ。「当社の田村は田村俊之ひとりでございますが、フルネームを確認させていただいています。どちらの田村ですか」。吉太郎は納得がいかなかったが、このことで押し問答する暇もなく、「田村俊之さんお願いします」とやや不満げな口調でつぶやいた。
 その後も、吉太郎は「田村俊之」とフルネームを繰り返していたが、さらに妙な発見があった。
 H運輸には田村に電話するのが圧倒的だが、営業の吉川さんに電話することがあったが、名刺交換したことがないため、下の名前が分からなかった。吉太郎は「吉川さんお願いします」と告げた。すると、「どちらの吉川ですか」とはならず、すぐに吉川さんにつないでくれたのだ。1回で通過できたのはうれしかったが、田村の時の対応とは整合性が取れない。どうやら、会社として〝フルネーム確認〟の徹底はできていないようだ。
 その後、H運輸の山木さん、幸村さんに電話した際も、下の名前は聞かれなかったが、田村だけはフルネーム確認が続いた。つまり、フルネーム確認はすべての社員に徹底しているわけではなく、田村のみで実施しているようなのだ。
 「どちらの田村ですか」と聞かれるようになって3カ月。一体、「田村俊之」と何回、口にしたのか――そんなことを考えていた夏のある日、出社直後の朝、「田村俊之さんお願いします」とH運輸に電話すると「田村は退職しました」と返ってきたのだ。
 午後、外出した。参院選が事実上スタートし、街中に候補者のポスターが張られつつあった。その一つを見て驚いた。「田村俊之」ではないか。顔もH運輸の田村俊之その人だ。
 そうだったのか――吉太郎はこの時、すべてを理解した。
 3カ月前、田村俊之が参院選に挑戦することになり、H運輸は会社ぐるみで応援することにしたのだ。
 有名人ではないうえ、どこにでもいるような名前だ。フルネームでの知名度アップが最大の課題だったにちがいない。そこで、田村宛の電話について「どちらの田村ですか」と聞くことにより、相手に「田村俊之」を連呼させていたのである。
 3カ月間、星の数ほど「タムラトシユキ」を繰り返し、フルネームが染みついていた吉太郎は投票用紙に「田村俊之」と力強く書いた。
 田村俊之は神奈川選挙区で見事当選。その後、誰も思いつかないユニークな政策を次々と打ち出し、当選を繰り返し、老若男女、誰もがフルネームを知っている〝愛される政治家〟となった。

註)昭和51年版(1976年)「通信白書」によると、全国のファックス設置台数は1965年約2000台から1970年は約7000台へと増えているが、当時、圧倒的多数の会社にファックスはなかった。同白書は「このようにファクシミリは,技術開発の進展により今後多様な発展が期待されている。また,日本は漢字を使用している国であり,文字の種類の少ない言語で,かつタイプライタが普及している欧米諸国と異なり,基本的にはファクシミリ通信の利用に適している」としている。

(文字数2,214字)

合評会のトップページ