「女が築いた日本国」第五回 三田誠広

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第五回 出雲神話の大国主

 前回はアマテラスとスサノオのウケヒ(誓約であり婚姻でもある)の話をした。
 日本神話は、出雲系と日向系の神話が合成されているというこについても述べた。
 大和朝廷は、アマテラスの孫のニニギ(邇邇藝)が日向に降臨したことから始まっている。ニニギの曾孫が初代の神武天皇だ。
 この話はのちほど詳しく語るとして、今回は出雲の話をしよう。
 出雲といえば、出雲の大社おおやしろだ。ごく最近、巨大な柱の跡が発見されて、伝説で語られてきた、本殿の高さが三十二丈(96メートル)というのが、本当だったのかもしれないと言われるようになった(現在の本殿は24メートル)。
 三十二丈といえば、奈良の大仏殿よりも高い。日本一(おそらくは世界一)の木造建築ということになる。
 ここに祀られているのが、大国主おおくにぬしだ。
 この神さまは息子の事代主ことしろぬしとセットで親しまれていて、「エビスさま」と「ダイコクさま」という呼称で人気がある。ちなみに七福神の七人のうち、日本の神さまはこの二人だけだ。
 読者の皆さんは、因幡いなばの白ウサギの話をご存じだろうか。
  〽大きな袋を肩にかけ、ダイコクさまが来かかると……。
 という歌もあるのだけれど、若い人は知らないだろうな。
 なぜ大国主は、大きな袋を肩にかけていたのか。
 お兄ちゃんたちの荷物を全部持たされていたのだろう。一種のイジメだ。
 大国主がイジメられたのは、末っ子だったからだ。
 太古の時代においては、末子相続が慣例になっていた。
 つまり父親の財産や、王としての権益は、末っ子が相続する。
 これは父親の都合を考えた相続のシステムだ。長男相続だと、父親がまだ働き盛りのころに、長男が成人になってしまう。父親が生きている限りは、相続ということはないのだが、病気で弱ったりすると、引退を迫られる。
 父親と長男が衝突して、国を二分する争いになることもあるだろう。
 そこで考えられたのが、末子相続というシステムだ。
 最後に生まれた男児が、次の王になる。
 これなら、側室に次々と男児を産ま続ければ、王さまはいつまでも王位にしがみつくことができるというわけだ。
 で、大国主は末っ子だったので、お兄ちゃんたちにイジメを受けていた。イジメを受けただけでなく、そのうち本気で殺されそうになる。
 兄たちの敵意に絶望した大国主は、意を決して、自ら根の国に赴くのだが、そこでスサノオの娘に出会って、十種神宝とくさのかんだからを持って、娘とともに現世に戻ってくる。
 十種神宝は、魔法のアイテムだ。
 その名称だけ書き留めておく。
 沖津鏡•辺津鏡•八握剣やつかのつるぎ生玉いくたま死返玉まかるかへしのたま足玉たるたま道返玉ちかへしのたま蛇比礼おろちのひれ•蜂比礼・品物之比礼くさぐさのもののひれ
 このうち沖津鏡、辺津鏡、八握剣は三点セットで、アマテラスとスサノオのウケヒによって生まれた三女神の象徴となっている。
 九州の北岸に宗像むなかたという地があって、そこに三女神が祀られているのだが、海岸の辺津に祀られているのがイツクシマ(市杵島)姫、沖合の大島に祀られているのがタギツ(湍津)姫、さらに遠くの沖ノ島に祀られているのがタゴリ(田心)姫だ。
 海岸にある宗像神社から、大島、沖ノ島は、一直線になって朝鮮半島に向かっている。
 三女神は海戦と海運の守り神とされているのだが、あるいは朝鮮半島から渡来した神さまなのかもしれない。
 稗田阿礼が一人で語りきったとされる『古事記』に対して、『日本書紀』の方は多様な伝承をいったん漢文で書き留め、それを資料として総合的な歴史書をまとめた。ただし、そこに入らなかった資料も、「一書あるふみに曰く」という形で参考文献として引用している。
 その一書のなかに、スサノオが朝鮮半島の新羅(しらぎ)に降下したという話が記述されているので、スサノオの娘の三女神も朝鮮半島とゆかりがあるのかもしれない。
 最後の三つの「比礼」というのは、女性がかぶるスカーフのようなもので、毒のある蛇や虫を防ぐバリアのようなものだ。
 これらの神宝を用いて、大国主は地上の神々(国津神)の王となる。
 ところが、天の上から地上を見下ろしていたアマテラスが、天界の軍勢を降下させて、大国主に国譲りを迫る。
 大国主は天の軍団と和議を結んで国を譲るのだが、よほど悔しかったとみえて、その怨念が奇御魂くしみたまと呼ばれる霊的な存在となって、大和盆地の東にある三輪山の神(大物主)となる。
 三輪山は、日向の大和一族に征圧された土着の出雲系住人の怨念をこめた神さまだ。
 三輪山の神を祀った大神おおみわ神社には、御神体が収蔵された本殿はなく、ただ拝殿だけがある。つまり山そのものがご神体なのだ。
 なお付随するエピソードとして、長男のタケミナカタ(建御名方)は最後まで闘おうとするのだが、結局負けて逃走し、信濃の諏訪神社の神となる。
 次男の事代主は闘うことを諦めて、海岸に出てのんびり鯛を釣ったりする。それがエビスさまのイメージになった。
 以上が出雲系の神話で、いまでも大国主は出雲大社にいるのだが、社殿の階段を昇った先には不在で、横の方にそっぽを向いて座している。
 これに対して、天の軍団が大国主から国を奪ったあと、満を持してアマテラスの孫のニニギが地上に降り立つのだが、その着地点が、日向の国の高千穂の峰ということになっている。
 ここでいきなり、出雲系の話から、日向系の話に切り替わる。
 稗田阿礼の苦労がうかがえるのだが、この国譲りの話は、何らかの歴史的な事実を、神話の形に変換したものだろう。
 神武東征によって、大和の王朝が、出雲系の先住民を支配することになった。神武の話そのものも神話ではあるのだが、神武にまつわる物語は、かなり具体的に語られているので、リアルな歴史との共通点を見つけやすい。
 大和の王朝は、のちに全国を支配するのだが、各地にはその地方に特有の国津神を祀る風習があった。そのため国津神の王であった大国主への信仰も篤く、それが三十二丈の神殿の建設につながったのだろうし、旧暦の十月は神無月かんなづきといって、全国の神が出雲に集結するという伝説が、長く語り伝えられることになった。
 そして、侵略者に負けた出雲民族の怨念は、三輪山への信仰として長く続くことになる。
 ところで、アマテラスはなぜ自分の子息ではなく、孫のニニギを地上に派遣したのか。
 ここには、持統女帝が孫の文武天皇の即位までがんばって独裁体制を続けたという史実が、関係しているのではないだろうか。
 孫が派遣されるというエピソードでも、稗田阿礼は持統女帝にしっかりゴマをすっているのだ。

三田誠広の歴史エッセー
「女が築いた日本国」 三田誠広数多の歴史小説を発表されている作家の三田誠広さんによる歴史エッセー「女が築いた日本国」が始まりました。第五回 出雲神話の大国主第四回 出雲系と日向系の融合第三回 小倉百人一首の一番歌第二回 神宿る女――持統女帝...