潜血便
生田修平
(1)
美容室で鏡に映る自分の姿を眺めると、老いを実感せざるを得なかった。白髪交じりかつ薄めの頭髪。全体的に艶がなく、ところどころにシミのある肌……。
この日は新しい発見があった。髪の毛や顔ばかりが目につき、普段はあまり注意していなかったが、首の喉あたりにしわがはっきり見て取れた。ここまで老けていたのか――。しわくちゃではないものの、皮膚がたるみ、何かぐったりしているその様は、老いの決定的証拠を突き付けられた気がした。
(2)
いま、55歳。50歳を過ぎて、急に老いが加速した気がする。容姿だけではない。同年代の友人との会話でも定年や年金の話題が増えた。何より大事な健康にも陰りが見える。若い頃は完全スルーだった健康診断も何かと物言いがつくようになった。
先日受けた健康診断の結果が返ってきた。案の定、再検査だった。「潜血便」とある。「かかりつけ医に相談の上、大腸内視鏡検査を受けることをお勧めします」とコメントが記されていた。
(3)
自分の便をじっくり分析されるのは、恥部を覗かれている感じで恥ずかしく、何か複雑な気持ちだ。便と言っても自分の分身だ。問題があれば、自分が悪い。その時、ふと、小学生の頃の「ぎょう虫卵検査」が脳裏をよぎった。
年に一度、青っぽいセロハンの検査シートを肛門周辺に貼り付け、学校に提出する検査だ。確か、新年度早々の春先に行われていたと思う。ぎょう虫卵検査の結果発表は年に一度の「恐怖の日」だった。
当時(1970年代)は、個人情報保護の意識など希薄だった時代。小学校の先生は「先日、提出してもらったぎょう虫卵検査の結果が出ました。陽性の子は後日、医者にかからんとアカンで。今回は5人や。○○君、〇▲さん……」と公然と名指ししていた。呼ばれた生徒は照れながら、先生の所に歩み寄り、説明が書いてあるプリントを取りに行く。陰性の生徒は胸をなでおろしたものだった。
(4)
2週間後、内視鏡検査のため病院へ行った。お尻の真ん中に穴が開いたズボンをはき、お尻を医者に向けた。点滴に麻酔が混ざられていて、ウトウトした次の瞬間、医者に「終わりました。小さなポリープを一つ取り出しましたよ」と言われた。動揺したが先生は笑顔だ。
「切除したポリープは7ミリでした。10ミリ以上ならがんのリスクが高くなるのですが、7ミリならほぼ大丈夫。ポリープは時間の経過とともに大きくなる場合があり、放置していれば10ミリ超えの危険なポリープに成長していた恐れがありました。たった年一度の健康診断の検便で、内視鏡検査につながる潜血便が出てくれたことはラッキーだったとお考え下さい。ポリープがあっても必ず潜血便が出るわけではありませんからね」
(5)
潜血便の再検査結果をもらった時は少しショックだったが、医者の説明を聞くと、視界が開け、前向きな気持ちになった。
それにしても、人間の健康や防疫にとって便が果たした役割は計り知れない。便からヒントを見つける手法は人類の医学衛生上、大発見と言えるだろう。便の分析から、どれだけ人間の命と健康が守られたことか。
そんなことを考えていると、教室でのぎょう虫卵検査の結果発表だって見方が変わってくる。年に一度の「恐怖の日」に先生から呼ばれてしまうと、新年度早々、「陽性」のレッテルが貼られ、その後、1年近くブルーな学級生活を強いられる。それは何としても避けたい。そんな強い動機があればこそ、生徒たちは子どもなりに手洗いを励行するなど衛生に気を付けた可能性がある。あえて結果を教室で公表するのは衛生管理を徹底させるための先生たちの荒療法だったとも考えられる。(註1)
(6)
美容室で老いの進行を突き付けられてから、約2カ月。髪が伸びてきたので再び、同じ美容室に出向いた。そこには、新しい女性スタッフがいた。まだ、髪は切らしてもらえない見習いだ。見た瞬間、体が震えあがるほど胸が熱くなった。目の前の鏡を覗くと、頬っぺたが赤くなっている。老いどころか、赤ちゃんのような顔になっていた。一目でこの女性に恋をしてしまったのである。
(7)
一晩中、女のことを思い続けたので、面影として離れず、胸が詰まって眠れなかった。この苦しさを晴らす方法は見当たらない。こんなことは長年、忘れていた。どうしてこんなにつらいことが思いもかけず出てきてしまったのか。誰のせいでもない自分自身が引き起こしていることなのだが、とても苦しい。夜もすっかり明けてしまったが、相変わらず、声に出して泣かれるばかりだ。
老年の身で若い女性に心を寄せることは似つかわしくないことできまり悪かった。心ひそかに人目をはばかり、日に日に物思いにふけっていたが、耐え切れない。このままではもう死にそうな気持ちになりそうだ。いずれにしても、すっかり告白してしまってこそ、少しばかりでも心を晴らせると思うのだ。
それにしても、自分の年齢だけが嘆かわしい。若い時であったら、恋文を送っただろうに。改めて、老いの悲しさが痛切に増す。なんやかんやと心を紛らわそうとするが、それでも女のことを忘れる時はなかった。
仏はこんな迷いに陥った者も悟りの道に導きなさる誓いがあるという。だったら、この苦しみを止めてくださいませと仏に祈願申し上げたいと考えた。
幸い、近くにとても尊い観音菩薩がいらっしゃるので、そこにお参りして「わが物思いを晴らしてください」と一晩中、念仏をして、夜明け前になってしまった。しばらくうとうとしたところ、枕元に物音がしたので見上げたところ、錦の御戸をお開きになって、観音様が現れなさったのである。
そこは光が清らかで薫りも大変満ちていた。なるほど、もし、仏の御国に行ったらこんな感じなろうと思った。ありがたいことは言いようがなく、額を地面にくっつけて礼拝した。
「おまえは前世からの因縁で迷いは深いが、誠の心があるのはしみじみ感心だ。お前が願うところは一筋に老いを嘆いているようだ。菩薩の力で若返らしてやろうではないか。取った年を思う存分私に返すがよい」とおっしゃったのだ。嬉しさ、かたじけなさいくばかりか。
興奮の中、若返りのカウントダウンがはじまった。さて、何年、お返ししようか。「10年、20年、30年……」。果たして、観音様は申し出た年数を受け取りなさって、御戸に中にお入りになった。(註2)
(8)
次の瞬間、麻酔から目が覚めたかのように意識が戻った。内視鏡検査はつい先日、受けたばかりだ。一体、どういう状況なのか。何かに埋まっている。土だ。それも車や人が往来する道路のど真ん中に、である。もはや自分が人間でないことはわかった。「雑草、雑草だ!」。
少し、冷静になり、落ち着きを取り戻すと何が起きたのか、わかってきた。若返りのカウントダウンでは美容室の女性にチャレンジするため、観音様に30年程度お返しし、20代に戻ることを狙った。
ところが、過度な興奮状態から狙いよりも長い年月戻してしまい、過剰に巻き戻されてしまったのだ。数えている時、「しまった。言い過ぎた」と思った記憶があった。
55歳以内なら、幼児や赤ちゃんかもしれないが、人間を維持できたのだろう。ところが、55年を超えてしまった。つまり、人間になるひとつ前の姿まで戻り、それが、雑草というわけだ。
(9)
前世に来られたのによりによって雑草なのか。人間でないのは仕方ないとして、馬や鹿など他の動物で草原を走り回るのもいいし、鳥になって大空を飛ぶのもやってみたかった。魚も興味津々だ。ところが、身動きが取れない雑草とは、最悪だ。しかも、人里離れた静かな自然の中でひっそりと生い茂る草ならまだしも、ひっきりなしに人や車が行き来する環境下にいる。さっきから、靴やタイヤで何度も踏みつけられている。何と下等な生き物なのか。
この雑草に対しての嫌悪感がぬくぬくと湧いてきた。隣に埋まっている雑草が「ようこそいらっしゃいました」と腰低く話しかけてきたが無視した。
(10)
いかんせん植物だ。逃げたくても動けない。この状態を脱する方法は死だ。息絶えれば、後世に行ける。この際、この雑草以外に生まれ変われるのであれば何でも構わない。
どうやって自ら命を絶つことができるのか。死に物狂いでその方法を模索した。息を止めようとした。スピードに乗ったタイヤにもぶつかった。しかし、うまくいかない。自ら死を選ぶ生き物は人間だけと聞いたことがあった。この草も歴代、自死という発想自体存在せずやってきたはずだ。選択肢がそもそもないわけだから、その方法などどうしてあろうか。人や車に散々踏みつけられても、元気いっぱい。しばらくはここでやっていくしかないということなのだ。(註3)
(11)
冒頭、声を掛けられて以降、雑草は一切、話しかけてこなかった。まあ、こんなにプンプン突っ張っていれば、話しかけたくないのも無理はない。
3日経過した。雑草の様子は目や耳に入ってくるため、自然と草たちを観察するようになっていた。
この雑草は茎が地中にあり、地上に顔を出しているのは葉っぱと花茎のみだ。多くの植物は茎が折られると、倒れてしまうが、地中だからその心配はない。
葉っぱなどを踏まれても平気な様子だ。いや、むしろ、喜んでいるフシがある。ガッツポーズをして「長距離トラックみたいだ」と漏らす声が聞こえたこともあった。
こうした観察を通じて、嫌悪感は薄まっていった。ユニークな生き物じゃないか。少しずつ、この雑草に興味が湧いてきた。
(12)
こちらから話しかけよう。そう決心した。
―おはようございます。
雑草A、B、C おはようございます。
A ご体調はいかがですか。
―元気です。
B 前身は人間とお見受けします。
―そうですが。なぜ、そう思ったのか。
B 垢ぬけているのと匂いですぐわかりました。
A 土周りにはない、独特の匂いがしました。
最近、使い始めた発毛剤か、あるいは、今冬使っているモイスチャーミルクのリップクリームの影響か。
A、B、C いつも大変お世話になっております。
―お世話?お世話などした覚えはない。踏んづけたことはあるかもしれないが。
冒頭、無視し、イライラを募らせる最悪の登場をしたにもかかわらず、雑草たちは好意的に見えた。
C 決まり文句の「お世話になっております」ではありません。本当に助かっているのです。
―よくわからないな。人間や車はお世話どころか、君たちを踏みつけている。植物としての名前があるはずなのに、「雑草」と一括りにして呼んでもいる。大体、雑草というネーミング自体、見下した言い方だ。自分自身を振り返っても、雑草に対する敬意はおろか、眼中になかった。いや、取り除かれるべきものという意識さえあった。どちらかというと、ゴミに近い扱いをしていた。
A まさにその「意識と行動」が我々雑草を生き伸ばし、発展させてくれているのですよ。本当にありがとうございます。あっ、申し遅れましたが、我々は「オオバコ」と申します。
オオバコという名前は聞いたことがある。日経新聞で記事を読んだ覚えがあった。
―理解できない。チンプンカンプンだ。わかるように説明してないか。
B 実は我々の種子は粘り気があって、人間や車が踏みつけた時に、種子が靴の裏側やタイヤにくっつくのです。人間や車は広範囲に移動するため、色んなところに我々の種子を運んでくれるというわけです。あえて往来が盛んな道の中心にいるのはそのためです。
―それで長距離トラックが踏んだ時、大喜びしていたのか。
C そうです。長距離だと、遠くまで運んでくれますからね。今や、オオバコは列島中に生育していますが、分布の広がりは、人間が移動を拡大した歴史に比例しています。馬車から、車。新幹線、飛行機など人間の技術力たるや、改めてすごいですね。この前も出張風のサラリーマンが踏んでくれました。新幹線か飛行機か分かりませんが、どこまでデリバリーしてくれるのか、ワクワクしましたよ。
壮大な視野ではないか。
―「行動」はわかった。「意識」というのはそういう意味?
A はい。これは人間の意識があって初めて成り立つメカニズムなのです。もし、人間がオオバコをリスペクトしていたり、かわいがっていたらどうなりますか?ピカピカの宝石や愛くるしい猫なら踏みませんよね。雑草として見下しているからこそ、人間はオオバコを踏みつけ、トラックもよけないのです。
(13)
1週間経った。すっかり、居心地がよくなった。向こうから話しかけてくれ、雑談もした。移動の拡大ついて、ライト兄弟や新幹線など知っていることを話すと興味津々に聞いてくれた。
―次の大きな移動の広範化という意味で、今、ホットなのが宇宙だ。宇宙への投資は雪だるま式に増えている。実は、宇宙への投資は半導体に匹敵するほどで、月への旅行なんかも民間で行われつつある。(註4)
A 月に旅立つ人に踏まれたいですね。「月にオオバコ」かあ?何か絵になりそうですね。
(14)
オオバコは話が面白く、とにかく想像力が豊かだ。移動できないため、目に見える範囲は知れているが、その分、想像力を思いっきり働かせ、色々な光景を目に浮かべているようだ。あえて、貧弱な穴子をモデルにして、想像力を膨らませることで、肉付きのいいウナギを描く話を聞いたことがある。
オオバコに小説を書かせたらきっと面白いものを書くのだろうなと思いつつ、冒頭「下等だ」と決めつけた自分を恥じた。下等どころか、超ハイレベルな生き物だ。
「いいところに来たのかもしれない」―本気でそう思うようになっていた。
(15)
1カ月が経ったところで、心情に少し変化が出てきた。仲間も増え、色々な会話も弾む。踏んでくれた人間や車の行き先についても、元人間として、「あのトラックは東北かな」「あの荷物が多いから海外かもしれない」など分析してみせると、喜んでくれた。
しかし、何か虚しさのようなものを感じる。オオバコたちは相変わらず、優しく親切に接し、まさにVIP扱いだ。しかし、それは元人間だったことと、人間への敬意からそういう態度が生まれているだけだ。ちょっと知っているライト兄弟や新幹線も自分自身の成果ではない。偉大な先輩の果実を紹介しているに過ぎない。ここに来て自分自身が貢献したことは何一つないのである。
(16)
だんだん、元気がなくなってきたが、表面上は平然していた。この微妙な心持ちを吐露することはできなかった。そもそも、打ち明けられるような親友は見当たらない。ここでもオオバコたちとの大きな距離を感じた。
元人間という肩書に対するリスペクトはだんだん苦痛になってきた。自分自身はオオバコを大変気に入っていた。純粋で正直だし、ガッツがある。発想が面白いし、ユニークだ。もっと溶け込みたい。リスペクトはいらないから、よけずに、踏んづけてほしいのだ。
(17)
そんな時、こんなやり取りが耳に入ってきた。
A またやられたよ。ほぼ全滅だ。しかし、容赦ないなあ。ダンゴムシのヤツ!生まれたばかりだぞ。
B 何か手を打たなきゃいけない。
明らかに、穏やかでないムードだ。
―どうかしたのか。
C あっ!聞かれてしまいましたか。ご心配をかけたくないので、この問題は聞こえないように細心の注意を払っていたのですが。
オオバコの暮らしは順風満帆のように見えていたがそうではなかった。プラス面ばかりが見せられ、都合の悪い側面は隠されていた。よそ向きの対応だったのである。ここでも自分が部外者扱いされていることを改めて認識した。
しかし、結果的に深刻な問題があることを知ることができた。じめじめしていても仕方がない。オオバコとしては駆け出しの身だが、その分、新鮮な視線があり、元人間としての経験が生かせるかもしれない。困っているなら、協力して貢献できるチャンスかもしれない。
(18)
―ぜひ、打ち明けてくれないか。
A わかりました。実はダンゴムシによる食害が深刻なのです。
B ダンゴムシは草をエサにしているので、食べられることはオオバコとしても想定しています。枯葉や古株ばかりを食ってくれるのであれば、問題ありません。古株は苦味など防御機能がしっかりしているし、多少、かじられても生き残れます。
C 問題はダンゴムシが新芽も食べてしまうことです。新芽は防御機能がまだ備わっておらず、狙われやすい。小さな芽では致命的なダメージになってしまいます。
―ダンゴムシは新芽が好きなのか。
B 本当のところはわかりませんが、新芽なので柔らかく、食べやすい。それに、苦みがなくおいしいのでしょう。
―人間の世界でも新じゃがや新玉ねぎは好まれる。私も大好きだった。ちょっと違うかもしれませんが、若鳥のから揚げも人気がある。枯葉は食べたくないなあ。
C 新芽を食べたいというダンゴムシの気持ちもわかるのです。でも、ことごとく食べられたら、この地域のオオバコは弱体化してしまいます。種が少なくなれば、靴やタイヤにくっついて広域化することも限定的になってしまいます。
―新芽が防御機能を身につけられない以上、ダンゴムシを退治するか、ダンゴムシがいない場所に芽を出すしかないということになるね。
B それは現実的に無理です。それに、ダンゴムシにはお世話になっている面もあり、完全にいなくなられては困るのです。
―というと。
A ダンゴムシは草を食べてフンをし、そこら中にばらまきます。フンは我々の栄養になっているのです。分布の広範化は人間のおかげですが、ダンゴムシは生育の源といったところでしょうか。
(18)
結論が出ないまま、やり取りは終わった。一人になり、改めて考えた。
難問である。頭の中で整理した。
①新芽段階では防御機能がないが、成長すればダンゴムシに食べられても致命的にはならない。
②ダンゴムシはフンでお世話になっており、必要な存在。
つまり、新芽の時だけダンゴムシには消えていただくか、ダンゴムシがいない時に新芽を出すか――極めて都合のいい解が必要なのである。
(19)
翌朝、集まってもらった。
―ダンゴムシの行動を我々でコントロールできない以上、ダンゴムシに消えてもらうのは不可能だ。ダンゴムシのいないタイミングを狙って芽を出し、さっさと成長してしまえば、何とかなる。
草たちはなぜかしばらく沈黙していたが、ようやく口を開いた。
A 今、「我々」とおっしゃいましたか。オオバコの輪に入ろうとしてくれているのですね。こんなに親身になって、食害問題を考えてくれた元人間に出会ったことはありません。これまでの方を拝見していますと、元人間に引きずられ、雑草などに同化したくないという意識が働くものなのです。
(20)
うれしかった。オオバコへの同化は大歓迎だ。内心は大喜びだったが、気持ちを抑えた。そうはいっても、一気の同化に抵抗があったのか。あるいは、引き続き、リスペクトを求めていたのか。人間への未練ではないが、いい意味で、元人間を生かしたいという気持ちがあった。
―ありがとうございます。
仲間入りは認めてくれたが、まだ序の口だ。人間という肩書ではなく、自分自身をオオバコに認めてもらいたい。そのために深刻な食害問題解の解決に少しでも貢献したい。心の底からそう思った。
―食害問題に戻ろう。ダンゴムシのいないタイミングを狙って芽を出すためにはダンゴムシの行動を把握しなければならない。
A うーん。いるのは音、におい、振動などでわかりますよ。そういう気配がなければいないのだろうけど、次の瞬間、登場するかもしれない。これでは怖くて新芽を出せません。
―なるほど。ダンゴムシそのものの有無で判断してもあまり意味がないわけだ。
(21)
B ダンゴムシ本人ではなく、何かダンゴムシの活動のヒントになる手がかりはないものか。本人ではない何か。
その瞬間だった。健康診断の「再検査」の文字とギョウ虫卵検査のブルーのセロハンが脳裏をよぎった。
―フンだ!おい、人間はフンを手がかりに、健康状態を推定したり、寄生虫の有無を確認しているぞ。
(22)
その後、オオバコはダンゴムシのフンを化学的に察知し、ダンゴムシの活動量の低い時期を狙って発芽するようにした。食害が劇的に減少したのは言うまでもない。 完
付記
「動物のふん感知、食害回避~京大など発見 植物種子が発芽調整」―2025年12月10日の日刊工業新聞にそんな見出しの記事が掲載された。オオバコがフンを情報源として利用しているとのニュースに大きな衝撃的だった。まさに、検便と同じ発想じゃないか。ちょうど健康診断で潜血便が見つかり、ポリープを除去した直後だった。
この発見をした研究チームは京都大、熊本大、千葉大、森林総合研究所、理化学研究所など6大学2研究機関からなる共同研究チーム。2025年12月9日に公開されたリリース文などによると、オオバコの種子がダンゴムシの糞に含まれる化学物質を感知して発芽を一時的に止め、ダンゴムシによる食害を回避している仕組みを発見した。種子が光や温度などの環境刺激に応じて発芽時期を調整することは知られていたが、食害を及ぼす動物由来の刺激に反応し、食害を回避できることがわかったのは初めてで、こうした反応はオオバコに限らず他の植物にも見られる可能性があるという。
実験ではダンゴムシのフンに含まれる化学的刺激にさらされた場合、発芽を停止し、フンが取り除かれると、オオバコの種子はすぐさま発芽したというのだ。
フンをヒントに命と健康を守る――オオバコと人間の共通項である。
個人や会社など人間界では他者がやっていることを真似したり、横展開するのが定番だが、これは人間同士とは限らない。飛行機は明らかに鳥の飛んでいる姿を念頭に作られただろうし、新幹線の先頭形状は鳥のくちばしをヒントに設計されたとされる。また、アリの分業が物流システムに多大な影響を与えたとの見方がある。小職もスピードの強弱やおとぼけなど飼い猫の動きを参考に、サッカーをプレーしている。
「オオバコ―人間」間の横展開だってあり得るだろう。人間の「検便」をオオバコが参考にしたのか、オオバコの「フンの感知」を人間がヒントにしたのか。後者の発見が直近であること考えれば、可能性があるのは前者か――。真相は道路に生える雑草の中にある。
(註1)ぎょう虫卵検査は1961年度から学校保健法(現在の学校保健安全法)で学校の健康診断の必須項目となった。2017年度版東京都予防医学協会年報によると、都では1959年度にセロファンテープ(ピンテープ)法によるぎょう虫卵検査を本格的に開始した。1959年度の寄生率は25・6%(実施件数2万1247件)だったが、開始翌年より低下し、1971年度には4・96%(同75万9557件)になった。
2014年度は0・08%、2015年度は0・10%となり,ほぼ終息に近い状態が実現した。この傾向は全国的であったため、学校保健安全法施行規則が一部改正され、2016年度から、ぎょう虫卵検査は健康診断の必須項目から削除された。
なお、この時の改正でぎょう虫卵検査とともに、座高が外され、四肢の状態が加わった。
(註2)この章は江戸時代に書かれたとされる「老の幸」をベースにした。老の幸では20代に若返った主人公が愛の告白をしようと女の家を訪ねるが、「走りつつ行きて見るに、四十年余りのむかしなれば、家もあらず、もとより女もなし」というオチがついている。2022年のお茶の水女子大の古文の入試問題で出題された。訳はYouTubeチャンネル「チリツモ国語塾」の入試解説を参考にさせていただいた。
(註3)個を犠牲にして、集団を守る「ジバクアリ」が東南アジアなどにいるという。巣に近づく侵入者に対し、自分の体を破裂させ、有毒な分泌液を浴びせやっつける。一見、人間の自殺のように見えるが、種を守るための本能行動であり、人間の自殺のように「自分の意志で死ぬ」というわけではなさそうだ。一方、植物は脳や神経がなく、意思決定自体あり得ないとされている。
(註4)東京海上アセットマネジメントの2025年1月の販売用資料によると、2023年の宇宙の市場規模(世界)は約5700億ドルで半導体市場(5269億ドル)に匹敵し、AI市場(1359億ドル)を凌ぐ。
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