村雲の誘惑
川島怜子
淡い赤が部屋のひと隅を照らす。
パチッ、
パチパチ、
深更を深める夜二人きりの部屋に、灯る灯明の芯の微かな音が響く――
「そなたを見ていると懐かしい…」
米一丸はふと視線を落とした。
村雲は華奢な指で、取っ手のある無骨な銚子で米一丸の杯に酒を注いだ。
そして、
「何が、にござりましょう」
少し上目遣い、そして灯明の明かりだけのせいであろうか?頬を紅に染めた村雲が若武者の顔を覗き込んだ。
灯明油の匂いを気にする素振りを見せた米一丸は、自身の鼻を軽く触れた。
「その手に持つは南宋の注子であるな、使い勝手の良き品じゃ」
村雲の問いをはぐらかした。
「京に置き去りにしておられる、姫君を思い出されておるのでしょうか?」
遊女の意地悪な問いに、
「からかうでない、村雲」
顔を横に向けながら杯を仰いだ。
村雲の顔が急に曇り、突然米一丸の手を白い両手でぎゅっと包み込んだ。
遊女の色の香りが、また一段と迫った。
なぜかその手の温もりに、懐かしさを憶えた。
「今宵は…伊勢物語を聞きとうござります」
灯明皿の灯りが、濡れた女の瞳を照らしている。
「駿河の田舎侍は、在原業平の様にはいかぬ」
村雲の顔が忽ちに曇る。
「…意気地無し」
少し震えた声で村雲は、その言葉を残して去った。
米一丸は遊女・村雲が部屋に残した愛用の琵琶を、見つめるばかりであった。
(文字数552字)

