
第三十六回 井上内親王の謎
白壁王が次期の天皇に擁立されたのは、会議でイビキをかいて寝ていて、無害な皇族だと思われた……それだけではなかった。
確かにこの人物は、無害な皇族だった。そのために、とんでもないものを押しつけられていた。
そのとんでもないものとは、井上内親王だ。
孝謙女帝の異母姉にして、永遠のライバルともいえる女性だ。
二人にはそれぞれ弟がいた。どちらかが天皇になるはずだったが、どちらも夭逝してしまった。ただ井上内親王の弟の安積親王は、ある年齢までは生存していたので、皇嗣となることが予想された。もしも安積親王が即位していれば、姉の井上内親王も、弟の政務に対して、何らかの影響力を発揮していたかもしれない。
しかし妾腹の子どもたちを毛嫌いしていた光明皇后は、自分の娘を皇太子に立て、邪魔な井上内親王を斎宮として王都から排斥したのだ。
おそらく井上内親王は、烈しい怒りを感じたことだろう。光明皇后とのちの孝謙女帝に怨念を抱いたに違いない。怨念を抱えたままで、長く伊勢に幽閉されていた。何やら時限爆弾のような女性になっていたのではないか。
十一歳で斎宮となった井上内親王は、退下した時には二十八歳になっていた。
怨念を抱いた年増女。
アブナイ女であり、皇女であるから畏れ多い存在でもある。実際に、とんでもなく気位が高く、色情狂のような激しい女性になっていた。
誰もが敬し遠ざけたいと恐れていたこの女性が、無害な皇族と目されていた白壁王に押しつけられた。
これは白壁王にとっては、青天の霹靂であったろう。
すでに和新笠という妻があったのだが、末端の皇族で、支援者もいない天智系の白壁王は、孤立無援だった。このありがたい皇女を受け容れるしかなかった。
井上内親王が正妻となり、新笠は妾ということになった。
皇女を妻としたことで、白壁王は大納言にまで昇ったのだが、それも白壁王にとっては迷惑なことだったろう。だから朝から酒を飲んで、会議の席ではイビキをかいて寝ていた。そうでもしなければ、政争に巻き込まれて命が危ういと、本気で恐れていたのではなかったか。
皇女を妻としても、夫婦らしいことは何もなかった。井上内親王の方が、すでに初老となっていた白壁王を相手にしなかった。
それで内親王がどうしたかというと、毎夜、怪しいクラブに通うようになった。
奈良時代にそんなものがあったのかというと、実は、似たものがあった。
東大寺の境内などで開かれていた陀羅尼を唱える会。始めは僧侶が指導する真面目な仏教の勉強会だったと思われる。陀羅尼というのは呪文みたいなもので、意味はわからないけれども、皆で唱えているとラップみたいなもので、気持がよくなる。
唱えながら歩き回ったり、踊ったりしているうちに、法悦のような状態になる。
参加者は何がしかの寄進をして、徹夜で踊り狂う。指導をしていた僧侶も、参加者が勝手に踊り狂うようになったので、入場料の寄進を戴くといなくなってしまう。
いつしかそれは、徹夜の乱交パーティーのようなものになっていた……。
というのはぼくの想像なのだけれども、まあ、そんなことがあったのではないかと思わせるような経過が次に続くことになる。
結婚して九年間、子どもはできなかった。子どもができるような行為がまったくなかったからだと、ぼくは推測している。
そして三十七歳になった時に、突如として井上内親王は懐妊して、酒人内親王という皇女を産む。
当時としてはかなりの高齢出産だが、白壁王はびっくり仰天したことだろう。
さらに四十五歳になって、井上内親王は他戸(読みは「おさべ」)親王という男児を産んだ。
これは今日の感覚からしても驚くべき高齢出産だ。
もちろん白壁王は、この男児が自分の子ではないと知っている。白壁王は大納言だから、政治の中枢にいる人々とは交流がある。白壁王は知人たちにそのことを訴えていた。だから誰もが、他戸親王が白壁王の子ではないと知っていたはずだ。
そして白壁王には、優秀な長男がいることも知っていた。
山部王。のちの桓武天皇だ。
母親の里が大枝(大江)の土師一族(のちに漢学者を輩出することになる)だから、漢籍の教養があり、宮仕えをして侍従として宮中の高官からも高く評価されていた。
職場の上司にあたる藤原是公が吉子、良継が乙牟漏、百川が旅子と、それぞれの娘を山部王の妻とした。そして吉子からは伊予親王(薬子によって抹殺される)、乙牟漏からは平城天皇と嵯峨天皇、旅子からは淳和天皇が生まれることになる。
ただ桓武天皇の母親は、身分の低い渡来人の娘だ。
このあたりは、よくできた筋書きなのだが、白壁王が新たな天皇として擁立された最大の理由は、井上内親王が産んだ他戸親王の存在だった。
天武天皇の子孫の草壁王、文武天皇、聖武天皇が病弱だったのは、壬申の乱で跡継の長男を殺された天智天皇の怨霊のせいだとされていた。その怨霊を恐れて、聖武天皇は東大寺の大仏を造営し、新薬師寺に薬師如来や魔除けの十二神将を祀ったのだ。
天智の孫にあたる白壁王を父に、天武の四世孫の井上内親王を母にもつ他戸親王は、天智と天武の両方の血を引いていることになる。天智の子孫の血を入れることで、怨霊の怒りが鎮まるのではないかという思惑が、群臣たちにはあったのかもしれない。
しかし式家の良継や百川の狙いは、最初から山部王すなわち桓武天皇にあった。この優秀な若者を後継者にすることで、日の本の国を建て直すことができると、彼らは密かに計画を練っていたのだろう。
そして突然、井上内親王と他戸親王は、白壁王を呪詛した罪で捕縛され、抹殺されることになる。
これらの展開は、白壁王にとっては想像を絶することであったろう。
井上内親王にとっても、波瀾万丈の人生だったというしかない。弟が天皇になるかもしれないという状況で、伊勢の斎宮に追いやられ、ようやく退下したと思ったら、高齢の末端の皇族の妻にさせられた。
ところが思いがけず夫が天皇に擁立され、自分の産みの子が皇太子に立てられた。
夫が早く死んでくれたら、息子が天皇になり、自分は国母と呼ばれる天皇の母となって、政界の頂点に立つことになる。
二転三転する人生のスゴロクで、大勝利のアガリが目の前に見えている時に、捕縛され、子息ともども殺されてしまう。
ドラマチックやなあ、と思わずにはいられない。
なお、もしも他戸親王が即位していたらと考えると、また新たな視点が生じる。他戸親王は父方の系譜をたどれば天智天皇の三世孫(曾孫)だが、母親は聖武天皇の娘なのでこちらは二世孫ということになる。
しかも天智の系譜は一度は絶えたと考えられていたので、天武の系譜の方が有力で、そうすると母親を通じて天武の系譜が続いたということで、女系天皇の一例と考えられるかもしれない。
女系天皇にこだわっているようだが、女系天皇の可能性が日本の歴史の随所にあるということは、指摘しておいた方がいいのではとぼくは考えている。
なお、他戸親王の姉の酒人内親王は、母親と同様、斎宮として伊勢に派遣された。やがて退下したのだが、どこにも引き取り手がなかったので、桓武天皇の後宮に入った。やはり色情狂のような行為が目立ったという伝説が残っている。
いずれにしても、平安京を築いた桓武天皇の誕生には、井上内親王という存在が大きな意味をもっていた。
そして、桓武天皇の独裁時代が始まる。
現在の皇室も、源氏と平家も、足利将軍家も、徳川将軍家も(これはややインチキ臭いのだが)、すべては桓武天皇の子孫ということになり、それはすなわち、天智天皇が多くの歴史上の人物の先祖だということになる。
やはり小倉百人一首の一番歌に天智天皇を置いた藤原定家には先見の明があったというべきだろう(ただし歌そのものは詠み人知らずだという学説もある)。


