生田修平 「はなお」

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はなお

生田修平

 私は大学卒業後、メーカーに就職し、社会人として第一歩を踏み出した。25歳の春である。遅めのデビューは一浪二留による。

 千葉・市原の工場に配属され、独身寮に入った。寮内は土足禁止だった。玄関で上履きに履き替える必要があるが、持参してこなかったため、近くのお店に買いに行くことにした。所詮、独身寮の室内用だ。ファッション性はほぼ不問。500円ほどの歩きやすそうなブルーのサンダルを購入し、寮に戻った。

 4年後、東京の本社に転勤し、杉並の独身寮にお世話になることになった。ここも土足禁止で、引き続きブルーのサンダルを使った。引っ越しの際、上履きを新たに買い替えようかと迷った記憶がないので、問題なく使える状態だったのだろう。

 それから7年、この会社に勤めてそろそろまる11年になろうとしていた頃、ある事情で退職することになった。もちろん、寮も出ていかなくてはならない。退職まで数カ月を切った。11年の年月を振り返り、思い出に浸る時間が増えた。11年のコンテンツは多彩で分厚かった。

 出世下手の憎めない上司、最後まで馬が合わなかった同僚、酔っぱらって大喧嘩した先輩、市原で乗り回していた真っ赤なセリカ、同期チームで作ったサッカーのユニフォーム、優しかった寮の管理人、頻繁に通った居酒屋の大将にスナックのママ、レモン入りのにしんそばがおいしかった蕎麦屋、イビチャ・オシム監督(註)……次から次へと脳裏を駆け巡った。

そんな日々を送っていた時、サンダルに異変が起きた。

私が当時書いた手記は次の通り。

 昨夜、寮内で履いているサンダル(左足)の、はなおがちぎれましたことをご報告します。

 もう履けません。このサンダルは、入社以来ずっと使っていたので11年、私の寮内での移動にお付き合いいただいたことになります。

 かなりちぎれそうになっていたので、もう寿命が短いことは、覚悟しておりましたが、昨日は泥酔していたので、下駄箱で何の警戒も無く、皮靴からサンダルに履き替えようとしたところ、足を上げても、サンダルがついてこないことで、ちぎれたことが判りました。

 一瞬裏切られた感じがしましたが、いかんせん11年間も私を支えてくれたのだから、もう十分役割は果たしてくれたと思い直しました。逆に、一瞬であっても、裏切られたと感じてしまった自分を情けなく思った次第です。

 11年間も一緒にいると、単なるサンダルではありません。もちろん無生物なのですが、はなおがだんだんとちぎれていき、最後に息絶える様子はまさに生き物でした。

 この11年間私と一緒に暮らし、どう思っていたのか、聞いてみたいです。そう考えると一人暮らしとは言いながら、このサンダルとは一緒に暮らしてきたといえます。やはり感慨深く思います。

 でもこれまでの11年間、サンダルの存在を感じたり、何の思いやりも抱いたことはありませんでした。存在感のあるサンダルは、いいサンダルとは言えません。

 このサンダルは、11年間存在がわからないくらい私の足に密着していたのでした。非常に優秀なサンダルだったと思います。

 ちぎれた瞬間です。このサンダルの存在、重み、優秀さを認識し、思い出が湧いてきたのは。でも一瞬裏切られたと思ってしまった。ありがとう。そして安らかに。

註)2003年~05年までJリーグ、ジェフ千葉の監督を務めた。

(文字数1,370字)

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