「女が築いた日本国」第七回 三田誠広

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第七回 国土を産んだイザナミの悲劇

 ぼくたちがいま、明るく楽しく生きていくことができるのは、太陽のおかげだ。
 アマテラスを何よりも大事にしなければならない。
 伊勢神宮は遠いけれども、そっちの方角に、遙拝するぐらいのことはしてもいい。
 東京から見ると、富士山のちょっと左側くらいのところに、伊勢神宮がある。
 それから、ぼくたちがこの日本という国に住んでいられるのは、イザナミが本州と九州、四国を産んでくれたおかげだ(北海道の存在は太古の時代は想定外だった)。
 アマテラスとイザナミ。これらの偉大な女神のおかげで、いまのぼくたちがある。
 このことを指摘するだけでも、「女が築いた日本国」を語るうえでの、要点の半分くらいは終わったようなものだ。
 だが、まだまだ語らなければならないことがある。
 神さまと人間の中間くらいのところに、神話に出てくる女性たちの物語がある。話はまだ長くなる。
 今回はイザナミからアマテラスの誕生までの話をしよう。
 火の神を産んだために、下腹部に火傷を負ったイザナミは、まさに悲劇のヒロインだ。
 男神と女神が、ともに協力して国を産み、神々を産んだ。
 そこまでは美しい話だが、結局のところ、何かを産むというたいへんな仕事は、イザナミだけが担当する。
 ぼくは母親から生まれた。読者の皆さんも、母親から生まれたはずだ。すべての母親に、感謝しないといけない。
 それから、ぼくには息子二人と、孫六人がいる。彼らとの出会いは、ぼくの人生に大きな喜びをもたらしてくれた。でも、子や孫を、ぼくが産んだわけではない。ぼくの妻や、息子の嫁さんが産んでくれたのだ。
 とくに本州などという巨大なものを産んだイザナミには、誰もが感謝しないといけないはずだが、イザナミを祀った神社というのは、徳島県に一つあるだけだ(夫のイザナギとセットで祀られているところはたくさんある)。
 感謝されるどころか、イザナミは怨みや祟りをもたらす怖い存在とされている。
 イザナミは、黄泉よみの国に赴く。
 夫のイザナギは、亡き妻を訪ねて、黄泉の国に入っていく。
 この黄泉の国の入口となっている黄泉比良坂よもつひらさかは、いまもある。出雲市の東の方にあって、観光名所になっている。
 イザナミが黄泉に国に去ったあと、夫のイザナギが追いかけていく。このあたりは、出雲系の神話なので、舞台は出雲に限定されている。
 さて、イザナギは黄泉の国に入っていくのだが、あたりはまっ暗だ。それでもイザナミの近くまで来たことがわかったので、声をかけた。
 わざわざ夫が訪ねてきたので、喜ぶかと思いきや、イザナミはこんなことを言う。
「わたくしはすでに黄泉の国の穢れにさらされております。どうかわたくしの姿を見ないでください」
 この種の物語には、鉄則がある。
 鶴の恩返しとか、そんな民話も同様なのだが、わたしがはたを織っているところは見ないでください、などと言われると、どうしても見たくなってしまうのが人情というものだろう。
 で、イザナギは頭に差していた櫛の歯を折って、そこに火をつけ、イザナミの姿を見てしまう。
 どんな姿をしていたのか、具体的な描写はないのだけれども、まあ、ゾンビみたいな状態になっていたのだろう。
 イザナギは、びっくりして、黄泉の国の出口の方に逃げていく。するとゾンビのイザナミは黄泉の国の仲間の大量のゾンビをひきつれて、どこまでも追いかけてくるのだ。
 日本の神話でいちばん怖い場面は、ここだと、ぼくは思っている。
 男性にとって、怒った奥さんがどこまでも追いかけてくるというのは、怖いものでしょう。
 イザナギは何とか、黄泉比良坂まで戻って、出口を大きな石でふさいでしまう。
 すると穴のなかから、イザナミは呪いをかける。その呪いによって、死者の大半は、黄泉の国に引きずり込まれてしまう。これはたいへんな呪いだ。
 しかし考えてみると、イザナミというのは、何とも気の毒な神さまだ。
 イザナミには何の落ち度もない。
 世のため人のために、国土を産み、神々を産んだ。それだけ貢献度があるのに、ゾンビになって恐ろしい呪いをかけた女、ということで、悪しきイメージが定着してしまった。
 さて、ここまでは出雲系の物語で、そこからいきなり、話は日向系にジャンプする。
 出雲の比良坂にいたはずのイザナギは、なぜか日向の檍原あわぎはらというところで、黄泉の穢れを祓うために、みそぎをする。
 清流で全身を浄めるのだが、その時の水の滴から、アマテラス、ツクヨミ(月読)、スサノオが生まれた……。
 ということなので、これはどう見ても、単性生殖。
 水の滴から、勝手に神が生まれたと解釈するしかないのだ。
 この状況と、スサノオが亡き母親を慕って根の国の入口に宮殿を建てた、という話は、うまくつながらない。
 稗田阿礼も、中国語のエリートたちも、ここでは話のつじつまを合わせるのに苦労している。
 まあ、イザナギが本州を産んだ、という話そのものが嘘っぽいので、細かいことにこだわってもしようがないのだが、とにかくこのあたりが、出雲系神話と日向系神話の接合点だということは、まちがいないだろう。
 さて、天界でスサノオが大暴れしたり、アマテラスが岩戸に隠れたり、といった話はすでに述べた。岩戸の前でアメノウズメがストリップを演じたという話には続きがある。
 アマテラスの孫のニニギ(邇邇藝)が地上を目指して天界から降っていくと、ヤチマタ(八衢)という迷路みたいなところに出てしまう。
 どの道を行けばいいのかと困っているところに、猿田彦という国津神が出てきて、道案内を申し出る。
 その時、ニニギに随行している神々のなかに、アメノウズメの姿があった。あの天の岩戸の前でストリップを演じたという女神だ。
 そこで猿田彦は、道案内の褒賞として、この女神を妻として貰い受ける。
 国津神と天津神の婚姻という、大きなイベントが実施される。
 日本の神話は、出雲系と日向系の合体によって、豊かで複雑でおもしろいものになっているのだが、日本の国土や自然から発生した国津神は出雲系、天界の天津神は日向系と考えていいだろう。
 神武天皇がエビスさまの娘と結婚したというのも、天津神の直系の神武が、地元の国津神の娘と結婚することによって、外部から侵入した侵略者と、和睦をした地元民との、一種の契約が成立したと見ることができる。
 先に神と神との「ウケヒ」の話をしたが、ニニギから神武までも、まだ神話の領域だ。神武の婚姻も、猿田彦の婚姻も、そこでは「ウケヒ」が成立したと考えていいだろう。
 この「ウケヒ」は、ニニギの子孫によって受け継がれていく。次回では、国津神の代表格の、山の神と海の神の娘たちについて語ることになる。

三田誠広の歴史エッセー
「女が築いた日本国」 三田誠広数多の歴史小説を発表されている作家の三田誠広さんによる歴史エッセー「女が築いた日本国」が始まりました。第七回 国土を産んだイザナミの悲劇第六回 神々の婚姻――ウケヒとは何か第五回 出雲神話の大国主第四回 出雲系...