第九回 瀬戸内海というワームホール
ぼくたちが生活しているこの国は、「日本」と呼ばれている。
『日本書紀』では、この「日本」という漢字を、「やまと」と訓じている(『古事記』では「倭」をあてる)。
神武天皇の和風諡号はカムヤマトイワレヒコ(神日本磐余彦)であるし、日本史上最高の英雄だとされている人物は、ヤマトタケルノミコト(日本武尊)で、けっして「にっぽんぶそん」と読まれることはない。
しかし幕末の志士たちは、「日の本/ひのもと」という言い方をしていた。
これが本来の国の名称ではないかと、ぼくは考えている。
では、なぜこの国は「日の本」なのか。
そこには、瀬戸内海というものが関わっている。そこで今回は、この不思議な水路について考えてみたい。
SF小説にはよく、宇宙船がワープ航法というものを用いて、途方もない距離を一挙に移動する場面が描かれる。
ぼくたちのいる銀河は、島宇宙の一つとされていて、宇宙にはそのような島宇宙が無限にあると考えられているのだが、ぼくたちの銀河から最も近い島宇宙であるアンドロメダ銀河まで、光速でも250万年かかるとされている。
ロケットを光速近くに加速することも、技術的に不可能とされているし、それだけの燃料を積み込むこともできない。乗組員を冬眠状態にする、という場面はSF映画ではよく見られるのだが、SFドラマをふくらませるためには、もっと遠くの宇宙に行かないと話にならない。
小説や映画では、超高速の瞬間移動として、ワープ航法というものが考えられた。
これは時空を歪めたり、別の時空と接触させたりして、テレポーテーションのように遙か彼方に瞬間移動するものだが、まったくの空想にすぎない。
何となく科学的と感じられる移動方法に、ワームホールというものがある。これは物理学の数式で表現できる、現実に存在する可能性のある時空のトンネルのようなものなのだが、そこでは時空が大きく歪んでしまうので、宇宙船などは瞬間的に破壊されてしまう。とても生きて還れるようなトンネルではないのだ。
それでもワームホールを通ってどこか遠くに行けるというのは、科学的なもっともらしい方法だと、読者に錯覚させる効果はある。
突然だが、ぼくは瀬戸内海のことを、一種のワームホールだと考えている。
それは世界的に見ても、この細長い水路は、不思議な特徴をそなえているからだ。
中国の人が瀬戸内海を見たら、ただの川だと思うだろう。両岸が見えているし、水は一定の方向に流れているからだ。たぶん長江や黄河の河口付近よりも、幅は狭いのだろうと思う。
確かに水は流れている。しかし、一定の方向に流れているわけではない。大河の河口付近では、満ち潮の時に、川の水が逆流することはあるだろうが、瀬戸内海の潮流は、もっと複雑だ。
もちろん瀬戸内海の潮流も、月の引力によって引き起こされるのだが、そこには瀬戸内海独特の地形が関わっている。
そもそも潮汐というものがなぜ起こるのか、読者の皆さんはご存じだろうか。
月の引力によって海水が引っぱられて、盛り上がる。
確かに、月のある側はそうなのだが、満ち潮は一日に二回生じる。
つまり、月のある側とは反対の側でも、海水が盛り上がっているのだ。
これがなぜ起こるのか、ちゃんと説明できる人は、少ないのではなだろうか。
室伏選手がハンマーを回転させている場面を想いうかべていただきたい。
まっすぐに立ってハンマーを回すと、ハンマーは遠心力によって急速に重くなっていくので、室伏選手といえども前のめりになってしまう。そこで回転速度が上がるのに応じて、室伏選手は体を後方に傾け、お尻を突き出すような体勢になる。
なぜか。
ハンマーをもって回転している室伏選手は、自らの体重とハンマーの重量を合計した重さの中間点にある重心を軸にして回転している。その重心は、室伏選手の上腕のあたりにある。腕から先のハンマーとチェーンの重量と、後ろに倒した室伏選手の体重とが、重心を中心にして釣り合っているから、室伏選手は倒れずに回転を続けることができるのだ。
回転するハンマーは遠心力によって、外に飛び出そうとする。それと同じように、室伏選手の体、とくにお尻のあたりは、重心を中心に回転しているので、もしお尻の先に汗の滴があれば、その滴はすごい勢いで外に飛び出すことになる。
実は、地球も、少しだけ、お尻を振っている。
月と地球の質量を合わせた重心は、地球の中心よりも、少しだけ月の方に寄ったところにある。月は地球の周囲を回っているけれども、同じ速度で、地球もお尻を振って回転している。
つまり地球がお尻を振っているので、お尻の側にある海水、つまり月と反対側にある海水も遠心力で盛り上がっているのだ。
これが一日に二回、満ち潮が起こる理由だ。
ここからは、話をわかりやすくするために、月の移動に合わせて、海水が盛り上がっていくシーンを想像してほしい。月は東から西に向かって移動する。海水も月を追いかけて移動していく。
海水の盛り上がりが、紀州半島を通り過ぎると、盛り上がった海水が大阪湾に流れ込んで、淡路島の両端を超えて瀬戸内海に流れ込む。瀬戸内海では、東から西への潮流が起こる。
月はさらに西に進む。四国の南岸にある海水の盛り上がりも月を追いかけて西に向かって進んでいく。するとそこに九州がある。宮崎の海岸に当たった海水の盛り上がりは、北と南に分かれていく。
北に向かった海水は、大分県の先で瀬戸内海に流れていく。
本州と九州の境目は狭い海峡になっているので、大量の水は行き場を失い、瀬戸内海を西から東に向かって逆流していく。
そのころには、大阪湾のあたりはすでに潮が引き始めているので、淡路島のあたりでは、吸い込みの力が加わって、西から東への潮流は勢いを増す。
このようなことが、一日に二回、くりかえされる。
いまも同じ現象が起こっているので、淡路島の南端では、巨大な渦潮が発生する。
同じことが、神話の時代にも起こっていたはずだ。もちろん源平合戦のころにも起こっていた。潮の向きが変わったことが、源氏の勝利につながったとされている。
昔の船には、エンジンがなかった。帆を上げて、風を受ける、ということも可能だが、ヨットではないので、風上に向かっては進めないので、まさに風任せの動きしかできない。
結局のところ、手で漕ぐしかないのだ。
ところが瀬戸内海は、手で漕ぐ必要がない。
神武天皇の東征を考えてみよう。
日向すなわち宮崎県の海岸の先では、月に引っぱられた海水の塊が、北と南に分かれていく。その北向きの潮流に乗れば、自動的に大分のあたりまで行ける。そこからは西から東に向かう潮流に乗っていけばいい。
もちろん、一日に二回、潮流は向きを変える。
東から西への潮流になった時は、どこかの港に入って休憩するか、島の陰に入って船を固定しておけば、そのうちにまた潮流は東に向きを変える。
急ぐ旅でなければ、西から東に向かう潮流に乗って少しずつ東に移動していけば、まったく漕がずに大阪のあたりまで到達することができるのだ。
瀬戸内海がワームホールだというのは、そういう意味だ。
九州と大阪は、瀬戸内海という太いパイプで結ばれていた。
日宋貿易の権益を独占していた平家は、宋船を神戸のあたりまで航行させ、そこに福原という新たな都を築いた。
われわれの主食の米は、インドが原産なので、成熟させるためには夏の暑さが必要だ。
季節風によるフェーン現象で、夏に猛暑となる北陸地方は、昔から米の産地だった。米を乗せた船も、日本海から瀬戸内海に入れば、楽に大阪に到達できる。
江戸時代の大阪の繁栄は、そこに米倉ができて、米の売買によって経済が活性化したことによる。米そのものが通貨の基本になっていたから、米をかかえこんで値を吊り上げる、というような、ファンドのような金儲けが可能だった(米が証券化されて売買されていた)。
それも、瀬戸内海というワームホールがあったから可能だったことだ。
この瀬戸内海の経路を通って、神武天皇の東征が始まった。
なぜ神武天皇は東を目指したのか。
神武天皇は太陽神の直系の末裔である。だから太陽神を信仰していた。そして、日出ずる国を目指して、より東の方に行ってみたいと思ったのではないか。
いや、話は逆だろう。
神武天皇が太陽神の末裔であるというのは、神話の世界だ。なぜそのような神話が生まれたのか。神話よりも先に、日向に住む人たちが、もともと太陽を信仰していたということだろう。
日向は、東側に海岸がある。毎日、海から日が昇る。とくにいまの宮崎市のあたりの人々は、もっとすごい光景を目にすることになる。
海岸のすぐ先に、青島という小さな島がある。春分や秋分が近くなると、太陽は青島から昇ってくる。
そもそもあの島は、なぜ「青島」と呼ばれるのか。
島から太陽が昇ってくるのを見て、日向の人々が、「アオーッ」と歓声をあげた。
だから、青島。
ぼくは冗談を言っているのではない。日本各地に、「大島」がある。大きな島だから、大島というのは、充分に考えられるが、大きくないのに「大島」と呼ばれる島がたくさんあるのだ。
隣の島から見ると、その島から太陽が昇ってくる。あるいは逆に、太陽がその島に沈む。人々が「オオッ」と叫ぶ。だから「大島」。オオッ、ではなく、アワッと叫んだら、「淡島」。
そういえば渋谷の西の方に、「淡島」という地名がある。道玄坂というのは、道玄という山賊がいたからだといわれていて、その道玄が松の木に登って金持そうな人を見定めたというので、松見坂という地名も残っている。
その道玄が松の木から西を見たら、日が西に沈んでいった。その光景がきれいだったので、「アワーッ」と叫んだ。島ではないけれども、そのあたりが、淡島と呼ばれるようになったのではないだろうか。

