寝返り
生田修平
プロローグ
私は大学で水と油をつなぐ「界面活性剤」を勉強している。東アジアにある某国の政治史を研究していたおばあちゃん(祖母)が「政治の世界でも水と油がくっつくことがある」として次のような話をしてくれた。
☆ ☆ ☆
某国は戦後、ごく短期間を除き〝A党一強〟の政治が続いていた。A党は保守政治をうたい、労働者・庶民ではなく経営者や富裕層、社会保障より軍拡に重きを置く政策を推し進めた。長期政権ゆえ、利権まみれでカネには汚く、「政治とカネ」の問題は年中行事と化していた。そのたびに、A党はメディアから追及され、国民にもソッポを向かれるのだが、それでも政権を維持してきた。
B党は某国最大の宗教団体が支持母体の中規模政党だ。A党とは支持層も政策も真逆である。A党のように国家や支配層の上から目線ではなく、庶民目線の政党だ。平和・福祉・人権の三大柱に加え、クリーンな政治を掲げ、A党の腐敗政治を野党の先頭に立ち、ただしてきた。
ところが、2000年代に入り、そんな水と油の両党が驚くことに手を結んだ。A党は党勢に陰りが見え始め、B党の組織票が欲しくなった。B党内でも政策実現のための政権入りを望む声が若手を中心に浮上していた。当初は慎重論が多かった支持母体の宗教団体でも「一度やってみてもいいのではないか」との意見が徐々に広がり、アッと驚く、AB政権が誕生してしまったのだ。
それから25年が経った。B党の党首Cは連日、支持母体からブーイングを浴びていた。直近の国政選挙で全国比例票が連立発足初期の2000年代初から4割も激減したからだ。四半世紀にわたるAB連立の果てがこの様だ。
しかも、このタイミングでA党の総裁には超タカ派で知られるDが選ばれ、B党内で警戒心が強まっていた。さらに、あろうことか、Dはカネの問題で世間を大きく騒がせた人物を党幹部に起用したのだ。
D総裁の誕生と初動はB党内や支持者の神経を逆なでし、そもそもAB連立体制とは何だったのか、何かいいことがあったのかとレビューする動きが広がった。
A党はB党が候補者を立てない、圧倒的多数の選挙区でB党の組織票をもらえ、多大なメリットが目に見える。わかりやすい。一方、B党の政権入りのうま味は、ほとんどの末端支持者には実感できなかった。一方的に恩恵をA党に与えているだけのように見える。
「政策実現のための連立」と言いながら、B党はむしろ、A党の軍拡、社会保障切り捨て、増税に手を貸した。支持母体の宗教団体の初代会長は戦前に治安維持法で逮捕され獄死したが、現代の治安維持法とも呼ばれる立法にも協力した。金権政治に至っては一掃どころか、日替わり定食よろしく、多様な手口が蔓延し、むしろ悪質化する始末である。
A党と組むことによって立党の理念はことごとく骨抜きにされ、支持率ジリ貧を招いたのではないか――AB連立体制への不満が爆発し、連立離脱論が支持者の間で広まっていったのは当然の流れであった。
しかし、四半世紀の付き合いは重たく、簡単に捨て去れない。情に厚いCは裏切りや寝返りが大嫌いだった。支持者とA党との板挟みになり、Cのストレスは雪だるま式に増大した。
Cは電車通勤をしている。毎朝、人の様子や電車広告などを見ることで国民生活を実感できるからだ。
ある朝、疲労感を感じながら電車に乗った。いつもは座れないが、幸運にも席が空いており、降車駅までの50分間座れることになった。
まもなく、降車駅に到着しようかという時だった。突然、血の気が引いた。めまいと寒気が襲い、ぐっしゃり冷や汗があふれた。じっとしていられないのだ。電車が駅に止まり、降りると、立つことができず、しゃがんだ。
数分経つと、少しずつ楽になり、歩けるようになった。
その足で最寄りの医者に行くと、こう言われた。
「血管迷走神経反射(註)で起こる症状ですね。特定の刺激により迷走神経が過剰に反応し、一時的に脳への血流が低下する現象です。強い刺激、ストレス、疲れ、長い時間立ったままや座っていても起こります。患者さんの場合、疲労とストレスのほか、50分程度電車で座ったままだったことが原因と考えられます。ベッドで寝ている時は寝返りができ、態勢を変えられますね。でも、電車の席ではほとんど同じ姿勢で座っているので、血管迷走神経反射が起きることがあるのです。寝返りって大事なのです」
Cは連立離脱を決断した。A党関係者からは「非情だ」「裏切り者」「野党に寝返りするのか」と罵声を浴びせられた。
「ずっと同じ姿勢はよろしくない。人間も国も時には寝返りで態勢(体制)を変えなければ、うまく回らない」――Cはそう反論した。
エピローグ
どうして四半世紀の連立がB党の集票力を弱体化させたのか。政治の研究者だったおばあちゃんに尋ねるとこう答えた。
「支持母体である宗教団体の信者がノンポリ化してしまったのが大きい。野党時代、信者は政治に敏感だった。国民不在でカネに汚い政権に心底怒り、本気でB党を支持していた」
おばあちゃんはお茶を口にし、こう続けた。
「政権入りすると、政策が真逆なだけに政治問題は連立を乱す要因になりかねない。信者が政治に関心を持たない方が連立を維持するには都合がいい。幹部はできるだけ政治イシューを信者間に持ち込まないようにしていった。ことさら連立がうまくいっていることが強調され、信者はB党に任せておけば間違いないと思うようになった。政治問題に主体的にかかわらず、やがて、信者は政治を語らなくなった」
おばあちゃんは某国で発行されている夕刊紙の切り抜き記事を示し、具体例を挙げた。
「AB連立政権下、内心を罰することから現代の治安維持法と呼ばれる法案審議が佳境を迎えていた。この時、夕刊紙の記者がこの宗教団体の本部周辺で信者50人に話を聞いた。驚くことに一部高齢の信者を除いてほとんどが法案のことを知らなかった。記者は信者のノンポリぶりに驚いたという」
「信者が政治に無関心だと、連立は維持しやすい。しかし、野党時代に信者が抱いていたような怒りはなく、熱量は下がる。選挙も自分ごとではなくなり、友人や隣人にB党への支持を呼び掛けるのも昔のような必死さがなくなった。これでは支持は広がらない。連立を優先させ、政治問題から逃げた結果、党勢が後退するのは当然の帰結だった」
政権を離れたB党のその後について、おばあちゃんは明らかにしなかった。
註)脳と末梢器官を介する神経。極めて複雑な神経経路を形成しているため、「迷走」と名付けられた。
完
(文字数2,668字)

