「のらくら同心」うら話 1

「のらくら同心手控帳」シリーズ

 『のらくら同心手控帳』の筆者の瀬川貴一郎です。
 このたび同著を愛読してくださっている読者のみなさまに、小説が書き上がるまでの作家の舞台裏を紹介したいと思います。
 どんな小説でも誕生に至る裏にはいろんな事情が隠れています。必要のないことですから、書き手はそういう話には触れません。
 でも裏事情を知れば、読み手には違った読書の楽しさが生れるのではないでしょうか。少しでも読者に楽しんでもらおう。そう考えて書いたのが、『のらくら同心・うら話』です。

 * * * * *

 まず筆者が『のらくら同心手控帳』を書くようになった経緯からお話ししましょう。筆者が小説を書きはじめたのはかなり晩年で、それまで長くテレビドラマのシナリオライターをやっていました。作家としてのスタートは戦後に起きた怪奇事件「下山事件」を、フィクション・ミステリーに仕上げた作品でした。その後同じ傾向のミステリーを数編書き、方向を変えて旅情ミステリー数編を書きました。

 そこへあるきっかけで知り合った徳間書店(現在は小学館)の編集者永田勝久氏から、「旅情ミステリータッチの捕物帳を書いてみないか」との声かけをいただきました。
 旅情ミステリーを書くのに筆者は、事件性よりも動機……加害者や被害者の心情に重点をおいてきました。だがミステリーの面白さは、犯人捜しや密室、時刻表を使ったトリックなどの事件性にあります。まず謎が提起され、それが増幅ぞうふく輻輳ふくそうしてサスペンスが高まり、読者を引きずっていくのです。心情に重きをおくと事件性は薄まってしまいます。そのへんを工夫して筆者なりのミステリーを仕上げました。
 永田氏の声がけは、私のミステリーの方向性を評価して頂いたことを意味し、作家冥利みようりにつきる話でした。なんとかご要望に応じなければと思ったものの、筆者これまで時代小説を書いたことがありません。そこで急遽きゅうきょ捕物帳関連の小説を読みあさり、なんとかコツが飲み込めてから永田氏に受諾伝え、書きはじめたのが『のらくら同心手控帳』でした。

 余談ですが筆者はシナリオライター時代、もっとも多く書いたのが関西地区限定のドラマ『部長刑事』のシナリオでした。ここで私は心情を重視した《ヒューマン・ドラマ》を基調にしました。この基調がミステリー小説へ、そして『のらくら同心』へとつづいているのです。だから『のらくら同心』ては犯人捜しに重点をおいていません。最初から犯人が分かっているケースが多いのです。加害者側の心情も書きたいと思ったからです。
 ところで私は『のらくら同心手控帳』に五編ばかり、部長刑事のシナリオの中から特に愛着のある作品をリメイクして使っています。映像では心の動きの微妙なところが伝えきれず物足りなさが残りました。その不満が小説でなら解消できると思ったのです。

 つぎに小説に登場する人物です。まずは主人公の《のらくら同心》と呼ばれる雨宮あまみや雪之介ゆきのすけ(です。《のらくら》は《のらりくらり》を縮めた言葉です。仕事はきちんとやるのですが、そうでないときは一見だらしなく見え、上司の与力に「馬鹿なのやら賢いのやらさっぱりわからん」と言わせるような人物です。このキャラクターについては永田氏からのご提案を参考にしました。のらくら同心という呼び名も永田氏から頂戴ちょうだいしたものです。
 主人公が掴みどころのないのらくらですから、脇はしっかりしたキャラクターで締めなければなりません。そこで登場するのが夏絵なつえです。勝ち気で行動的で雪之介とは正反対の性格の女性です。彼女は近くに住む同心頭どうしんかしら
の娘で、あるきっかけから雪之介の面倒を見るようになり、今では家事、洗濯、まげの結い上げやひげりまで、女房顔負けの役割をこなしています。
 当然まわりから「早く祝言を挙げろ」の声がかかります。それに対して夏絵は、町家の娘が武家のところへ行儀見習いにあがるように、「嫁見習いをしているので祝言は嫌です」と応じません。本心ではなく、雪之介から声をかけてくれるのを待っているのでしょうが、その雪之介は夏絵のおかげで、身のまわりの心配は要らないのですから、気ままな独身生活から足を洗う気はありません。要するにずぼらなのです。

 つぎに月岡つきおか誠太郎せいたろうという小石川養生所こいしかわようじょうしょ(の医者が出てきます。検視の役まわりなのですが、ちょっとひねくれた性格で、根は善人なのでしょうが会話にはいつも嫌みが先に出るタイプです。
 残るもう一人が雪之介の父の代から岡っ引きをやっている金次きんじで、彼はごく普通の常識人です。
 こうした人たちを軸にして物語は展開します。

(つづく)

「のらくら同心」うら話 2
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「のらくら同心手控帳」シリーズ
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