幽霊
生田修平
真夏の上野、午後4時、私は幽霊を見た。サラリーマンの格好をして、足があった。手はだらんと下におろすいつもの幽霊のポーズでガラス張りのビルの中を歩いていた。
会社に戻り、早速、同僚にその旨報告したが、信用してくれない。曰く「夏バテして、疲れきったサラリーマンでしょ」、「リストラされて意識がぼっとしていた人が歩いていただけなのでは」、「足があったって?じゃあ、それは幽霊ではないよ」、「この忙しいのに何寝ぼけたこと言っているの」・・・。けんもほろろだった。
確かに足はあった。だが、あれは幽霊だ。幽霊も時代とともにその姿が変わっていくのに、同僚は古典的な幽霊のイメージに束縛されているようだ。私は、足があり、サラリーマンの格好をしていたが、幽霊である強い確信を持っていた。同僚こそ、寝ぼけたことを言っていると決めつけた。
あれは幽霊だ。それから外出すると、キョロキョロと幽霊を探すようになった。確信が弱いわけではない。強い確信をさらに強めたかった。それに、もう一度あの幽霊に会いたい。今度会ったら話し掛けよう。何を聞こうか。頭の中で色々と考えた。
外出のついでに幽霊を探していたが、間に合わなくなった。幽霊を探すための外出が設定され始めた。耳も澄ました。鼻も嗅ぐようになった。五感はすべて幽霊に向けられた。
幽霊に「会った」、「会わない」をカレンダーにつけるようになった。最初に会った7月25日の○以来、×が並んだ。しかし、確信は揺らがなかった。どころか、むしろ深まった。
幽霊がそんなに頻繁に出没するわけがない。めったに会えないのが幽霊だ。×が並ぶのは、上野で私が見たのが幽霊だったことを補強した。幽霊を見つけ出すという確認作業の失敗は、私が見たのが幽霊であることの確信を深めていったのだ。
あれは幽霊だ。仕事は手につかなくなった。会社は日日、利益だ、付加価値だ、とミクロなことばかり追っかけている。「何ごとも目に見える結果で表せ」と上司は繰り返す。可視化を追求する結果、短期的なもうけに終始し、コストカットとリストラばかり。企業のキモである「企て」が決定的に欠けている。
会社はまた、「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)を徹底しろ」「情報共有しろ」とうるさい。ホウレンソウや共有をしっかり行うのは、裏返し、自力で解決する努力をせず、責任逃れではないか。サッカーで言えば、ボールを受け、自らドリブルで仕掛けようとせず、すぐにバックパスする〝おもしろくない選手〟である。
私は会社の連中を軽蔑した。会社生活のつまらなさが深まるのと反比例し、幽霊の探索はますます充実していった。
探索は目に見える成果はおろか、気配さえなかった。カレンダーには×が並んだ。しかし、空しくはない。この×の隊列こそが、幽霊なのだ。
目先ではなく、その先にある、幽霊に会うシーンは心の中でクッキリ見えている。幽霊探しには明確な企てが存在するのだ。それに、ホウレンソウも求められず、自力で解決するしかない。やりがい満点の仕事だ。
私は幽霊探しにどっぷりはまり、これまでの人生で味わったことがない、充実した時間を過ごすことができた。
真夏のある日、私は上司に呼ばれ、退職を迫られた。私は応じた。上野を歩いた。強烈に暑い日だった。いつものとおり幽霊を探した。その姿が、ガラスに映った。そこには、幽霊がいた。サラリーマンの格好をした、足のある幽霊が。「やっと会えた」――この幽霊は前に見た時より、顔色がよく生き生きとしていた。
完
(文字数1,468字)


