インフレ時代の学校経営~三部作
生田修平
【黒板消し】
1970年代、列島は未曽有のインフレに直撃される。1974年の消費者物価指数は20%を超え、当時の福田赳夫蔵相は「狂乱物価」と命名した。物価高は小学校の経営も直撃した。(註1)
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A小学校では経費削減のため、備品の購入をできるだけ少なくすることにした。
ある教師が「家庭科の洋裁の授業で、生徒に備品を作らせ、それを使用するのはどうですか」と提案し、校長は飛びついた。「教育と経費節減」の一石二鳥である。
6年生で、「黒板消し」を製作した(註2)。6年生は120人おり、手作りの黒板消し120個できあがった。購入品と違い、それぞれ個性のある黒板消しができた。見た目はよくないが使い勝手がよかったり、バカでかいものもあった。この試みは大いに盛り上がり、成功したかに見えた。
ところが、である。自分で作ったものは試してみたいのが人情である。120人の生徒は、いっせいに黒板消しを使い始めた。黒板がきれいになるとわざわざチョークで何かを書き、自分の作った黒板消しで消した。
たちまちチョークはなくなり、チョークを新規調達せざるを得なくなった。チョークの購入経費は膨れ上がり、経営を圧迫。A小学校は破産に追い込まれてしまった。
黒板消しはチョーク紛をパタパタとはたけば、繰り返し使えるのに対し、チョークは無くなる一方の消耗品だ。〝黒板消し過多〟になれば、チョークがショートするのは当然の帰結だった。
校長は肩を落とし、黒板に次のような落書きをした。
「黒板消しと同時に、チョークを作らせばよかった」。
この落書きでさえ、「待ってました」といわんばかりに、生徒が製作した黒板消しによってたちまち消された。
この事件から次のことわざが誕生した。
A lot of erasers and a few chalks make the school collapsed.
(バランスが悪いとうまくいかないといった意)
註1)オイルショックによる原油価格がまず思いつくが、政策面の要因も大きい。この頃、変動相場制への移行に伴う円高への過度な警戒から日銀が金融緩和策を取り、市中に円を大量に放出した。また、田中角栄政権による財政拡張で財政資金がバラまかれた。原油高騰よりも、政府・日銀の政策が狂乱物価を招いたとするエコノミストも少なくない。
註2)近年は学校で電子黒板の導入が進んでいる。文科省の「学校におけるICT環境等の整備状況」(2022年3月時点、全国の公立学校対象)によると、普通教室の大型掲示装置普及率は83%に上 り、10年前(2012年3月時点)の13%から激増している。大型掲示装置とはプロジェクタ、デジタルテレビ、電子黒板のこと。
【給食】
2020年代、コロナ禍以降、40年ぶりに世界的なインフレに見舞われる。コロナ禍では経済活動が一時的な停止に追い込まれ、供給力が大幅に低下した。さらに、2022年のロシアのウクライナ侵攻により、サプライチェ―ンは分断され、原油や穀物が高騰した。こうした事態に対し、各国がインフレ退治の利上げを断行したが、日銀は金融緩和を続け、日本では空前の円安が進行した。円安は輸入物価を直撃し、食品の値上げラッシュが断続的に起こった。家計のみならず、学校給食も大幅なコストアップを余儀なくされた。
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B小学校では、給食を生徒自身で作り、料理の学習をするとともに、給食の外注費削減を目論んだ。
1学年につき、4クラスあり、全校で24クラス。授業があるのは月間20日強なので、1学級が月に1度、大きな鍋で全生徒分の給食を作れば、回っていく計算だ。
さすがに、5、6年生は上手に作った。朝10時からスタートし、正午には各教室に給食が届いた。
3、4年生は当初苦戦していたが、着手を8時からにすることで、間に合うようになった。
毎月の給食づくりという訓練は、料理を上達させた。まさに目論み通りだった。
問題は1年生だ。右も左もわからない1年生が、全校生徒の料理を担うのは酷であった。そもそもレシピも読めないし、集中力もない。失敗も多く、ロスも膨れ上がった。料理の指導に先生を数多投入しなくてはならず、自分の授業を自習にし、応援に駆けつける先生も多くいた。
それに、やっと、できあがるのが夕方ぐらいで、しかも非常に幼稚な料理であった。
1年生のクラスに料理の順番が回ってくると、その日は「恐怖の日」と呼ばれ、高学年の中にはズル休みをするものもいた。
学校は大いに混乱した。自習が増え、学力は低下。人件費やロスなどコストはむしろアップした。一生懸命作ったのに、叩かれる1年生の中には料理嫌いも多く誕生してしまった。転校を決断する保護者まで出た。
職員会議では給食の内製化の「取りやめ」や「1年生撤退論」が相次いだが、校長は粘り強く続けた。
数年が経った。給食の内製化は定着し、大いに盛り上がっていた。
この取り組みがスタートした時に1年生だった生徒は、上級生になっていた。1年生が給食を作る「恐怖の日」を迎えると、その上級生たちは嫌な顔をするどころか、1年生を激励したのだ。自分が受けた過去の苦い思い出を下級生に味合わせたくないとの思いからだった。
校長はつぶやいた。
Inexperienced cooking by new face changed the fear day to the day of generousity by senior students.
(悪しき慣習は自ら絶つべしといった意)
【ウナギ】
近年、ウナギの高騰が深刻だ。国内のウナギ価格は10年前から1・5倍に跳ね上がり、まさにうなぎ上りである(註)。稚魚であるシラスウナギの漁獲量が減少しているのが大きい。国際的な資源保護の流れを受け、輸入量は制限される傾向で、稚魚の供給は極めて不安定だ。加えて、円安などの影響で養殖にかかる燃料費やエサ代が高騰しており、価格を押し上げている。
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C小学校は「土用の丑の日」にウナギをモデルに油絵を描く“粋な授業”をしている。「美術」に加え、実物を見ながら「理科」、食文化にも言及し「社会」の授業にもなる。
ところが、困ったことにウナギの高騰が半端でなくなり、経営を圧迫し始めた。
職員会議では、「コストアップを踏まえ、授業料を値上げすべきだ」という「価格転嫁論」や、「実物ではなく写真でいいのではないか」という「縮小論」が出されたが、校長はどちらも取りたくない策だった。
校長が頭を抱えていると、若い先生が手を挙げ、「代わりに穴子の実物を使うのはどうですか」と「穴子代用論」を訴えた。
「そもそも穴子はうなぎより、格安です。それに、ウナギが稚魚や養殖のエサ代で円安の影響をもろに受けるのに対して、穴子は近海で捕る天然物が主流で為替の影響は受けにくいのです。だから価格も安定しています。それでいて形はウナギに似ている」(註)
提案した先生は理路整然と説明した。
「やけに詳しいじゃないか」と校長が問うと、「実家が穴子の漁師なのです。いつも売値が安いとグチっていましたよ」と照れながら返した。
果たして「穴子代用論」が採用され、活穴子がモデルとなった。
生徒からは、「ウナギの方が油が乗っていて描きやすい」。「穴子はサッパリしていて淡白でインパクトがない」「油絵なのにモデルに油が少ないのは困る」と不平が相次いだ。
校長は、「油絵というのは、油という絵具で描くことを言い、対象物に油が乗っていることではない」と反論したが、その手は油ぎっていた。確かに生徒のいう通りだった。これまで見てきたウナギと比べると、穴子はいかにも貧弱で、モデルとしての格下感は明らかだった。
校長室に戻り、穴子を眺めた。10分程度、凝視した。脳裏をよぎるのはふくよかなウナギばかりだった。
これだ――。
「穴子をベースに油が乗ったウナギを描くのは君たちの無限の想像力だ。穴子に欠けている、貧弱なところを補って、大いに肉付けしてほしい」
校長の助言を踏まえ、生徒たちは穴子をモデルにウナギを描いた。これまでの「土用の丑の日」にはなかった、脂の乗った立派なウナギが次々と描かれた。
Poor conger eel is superior to rich eel as a model of eel
(人間の想像力は無限大といった意)
完
註)東京都中央卸売市場の「年報」によると、2015年1月のウナギ価格は1キロ3516円(静岡産、築地市場の取引実績)だったが、2025年1月は5354円(静岡産、豊洲市場)。一方、同時期の穴子価格は2041円(東京産、築地市場)から2824円(東京産、豊洲市場)へと値上がりしているが、上昇幅はウナギより小さい。また、穴子はウナギの半額から6割程度の価格水準であることがわかる。
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