生田修平「なにがし」

なにがし

生田修平

なにがしは、名前が不明だったり、名の特定がさして重要でない場合などでよく使われる。芥川龍之介の「芋粥」に登場する五位のなにがしは「伝わる資格がない平凡な男」とのこと。
化学専門商社の営業マン山田なにがしという名は親に名づけられ、役所にも届けられた正式な実名である。
山田なにがしは某年、某所で、山田家の長男として産まれた。両親は第一子に大いに喜び、相当な意気込みで命名作業に取りかかった。
字数や画数はもちろん、あまりない名前、格好がよい漢字、あだ名にした時かわいい名前、 将来古くさくなるのであまり今風ではない名前、など多くの条件をすべて満たす名前を追求した。
そして、まだ夫婦2人で決めればよかったのだが、できるだけ多くの人のアイデアも取り入れようと、親戚や友人、隣人等にも相談した。
出生届のデッドラインの出産から14日後の間際になっても、アイデアは絞られるどころか、ますます拡がっていく始末。
果たして、決められない政治よろしく、出生届の期限までに、名前を決めることができなかった。
決められなかったが、出生届は出さなければならない。両親はやむを得ず、「山田なにがし」で役所の窓口に届け出た。
窓口の係りは、すぐ受領はせず、上司に何か相談をしに行った。
数分後、係りは戻ってきた。
「何か?」
「いやあ、昔の悪魔ちゃん事件というのをご存知でしょう。悪魔という命名が親権の乱用であると、受理されなかった事件です。なにがしという命名は大丈夫か、上司に確認に行ったんです」
「で、上司は何だと?」
「悪魔は明らかに悪い意味ですが、なにがしは特に悪い意味はなく、問題なかろう、とのことです。受理できますよ。よかったですね。」
ところで、当人は山田なにがしという名前をどう思っているかというと、実は大変気に入っている。
なにがしは両親の愛情を強く感じている。両親がいい加減につけた名前ではない。むしろ、なにがしのことを愛するあまり、安易な妥協はせず、最高の名前を追求した。そのアウトプットがなにがしなのである。
なにがしという実名はおそらく自分ひとりであろう。何と言う希少価値であろうか。
顧客にもなにがしは一度で覚えてもらうことができた。山田が平凡な分、なにがしという名前は引き立った。
名前は意味が明確であればあるほど、解釈の余地が少なくなり、奥ゆかしさがない。
なにがしという曖昧な名こそ、ミステリアスで素敵ではないか、となにがしは思うのである。
さらに、何と言っても、なにがしという名前は気楽だ。
名前負けということばがあるが、なにがしにはそんな心配はない。大それた名前をつけられ、プレッシャーを感じたり、周囲から「名前の割に・・・」と陰口を言われることも、なにがしには無縁だ。
今日も某所で山田なにがしはのびのびと生きている。 なにがしという名に恥じないよう、歴史に名を残さないよう、気をつけながら。

(文字数1,216字)

合評会のトップページ