完全犯罪
生田 修平
篠原は殺人の完全犯罪を企てることにした。
篠原の長年のモットーは「失敗は成功の素」である。
失敗事例を検証し確実な方途を見つけるのが篠原のスタンスだ。
正直言って、篠原は自らアイデアを産み出すのは苦手であった。篠原自身、それは自覚していた。
自分は発明はできない。代わりに、色々な事例を積み重ね、データにまとめ、最適なものを発見するのが、篠原流であった。
篠原は「切れ者」という評判を受けたことがない。切れ味はない分、コツコツとやっていく。これまでもそうしてきたし、これからもそのやり方を変えるつもりはない。
完全犯罪も篠原流に組み立てた。世の中には多くの殺人事件が現実に起こっている。また幾多の推理小説がある。推理小説はそのほとんどは最終的に犯人が捕まる。推理小説は刑事や探偵が犯人を捕まえる成功話であるが、裏返し、完全犯罪の失敗事例である。
篠原はありとあらゆる推理小説を徹底的に読み上げ、どういうところで犯人がつまずくのかを検証し、データを積み上げた。約2年かかった。
完全犯罪を成し遂げる人物というと、ずば抜けた人物、「切れ者」を想像しがちである。「切れ者」でない篠原はむしろ対極に位置するように思える。しかし、実は篠原のような謙虚な、コツコツタイプが完全を全うするにはふさわしかったりするのだ。
篠原の作り上げたデータベースから、紙面の関係上、数点に絞り紹介する。
【犯人の利き手】 ある人物を犯人に仕立てようとする場合、仏さんの傷の位置から犯人は左利きだが、ある人物は右利きのため、真犯人は別にいると勘ぐられる。
【この辺にはない花粉】死体を移動などする工作の場合、車などに、場所を特定できる何かが付着していて足がかりをつけられる。
【青酸カリの入手経路】 昔メッキ工場で働いていたり、メッキ工場に勤務している知り合いがいると、入手経路が探られる。
【自殺前には普通ない行動】対象者を自殺に見せかける場合、遺書も細工で残しても、その前の行動が自殺する前の行動とは思えないことをしていて、自殺ではないのではないか、と疑われる。(自殺直前の不自然な行動例①ピエロの格好で写真をとっていた②友人にガリガリ君のキウイ味が出た旨メール③カラオケで「さくらんぼ」を熱唱)
【アリバイを印象づけるかの行動】死亡推定時刻、「スナックで飲んでいた」、とアリバイを主張する際、スナックで不自然なけんかをしたり、頻繁に時間を聞いたりすると、かえって怪しまれる。
篠原は100項目以上にまとめ上げ、これらを分析し、ついに殺人の完全犯罪の方法を1つだけ見つけ出したのだった。
その日、篠原はさすがに興奮し、一人で祝杯を上げた。調子に乗り、スナックにも行った。酔っ払った篠原は完全犯罪を見つけ出したことをしゃべりたくなった。おっと、危ない。他人を巻き込むことが最大の落とし穴であることは、篠原自身データの蓄積でよくわかっていることだった。篠原は酔っ払いながらも気を引き締めた。
方法は確立した。後は実行するのみの状況となった。
しかしながら、困ったことになった。篠原は頭を抱えた。殺意が沸いてこないのである。動機がないのだ。
例によって、篠原はデータを見ながら、動機の発見を試みた。コツコツと地道に殺意を抱こうとした。
だが、うまくいかない。例えばちょっと気に食わないやつをターゲットにし、データを収集すると、殺意どころか、そいつのいいところを次々と見つけてしまうのだ。
昔、腹が立って、殺してやりたい、と思うやつに久しぶりに会ってみた。すると、そいつはとてもいいやつになっていたりした。
動機はデータを眺め、発見する性質のものではなかった。まさに自ら産み出さなくてはならない。篠原のもっとも苦手とするところだった。篠原流の限界がそこにあった。
それから3年が過ぎた。
依然、篠原は完全犯罪を実行できずにいた。
ついに完全犯罪を実行に移すのをあきらめた。
集大成として篠原は「完全犯罪論」という本を出版することとした。
篠原らしく、コツコツと5年かけて、本が完成した。
「完全犯罪論」の最終章「動機」の中で篠原は次のように述べている。
「動機こそ、捜査の端緒になる最大のものである。完全犯罪を完遂するには、動機の扱いに最も注意しなければならない。動機を見えにくくする工作は可能である。しかし、それは隠しているだけで、潜在化する可能性はゼロにできない。また動機とは心の問題なので、後で消す、というのも困難である。かと言って、動機がなければ犯罪は前に進まない。動機なくして犯罪なしである。そうなると、完全犯罪は方法論上、成立しても、実行はできないことになる。実行するということは何らかの動機が存在し、動機が存在するということは、それはほころびの可能性があり、もはや完全犯罪ではなくなってしまうからだ」
この本はあまり売れなかった。
完
(文字数2,020字)