生田修平「駄菓子屋」

駄菓子屋

生田修平

【プロローグ】
私は4人兄弟。周りも2~3人が多く、1人っ子が珍しかった1970年代。子どもは大きなマーケットだった。私の家の周辺には駄菓子屋が乱立。私にとって駄菓子屋は生活のど真ん中に位置していた。

【本文】
 駄菓子屋「チー店」は私の実家から30mくらいのところにあった。駄菓子屋と言っても、あたりものや、子どもが喜びそうなものは置いていない。たばこやパン以外にスペースがあるからお菓子やアイスクリームを置いているに過ぎない。言ってみれば消極的な駄菓子屋である。店の名前もちゃんと明示されていない。チー店は子どもらの間で自然発生的に名付けられた通称である。
 店員のおばちゃんも愛想が悪い。買っても小さい声で「ありがと」と返すだけである。死に物狂いで駄菓子を売って生きているわけではない。おそらく年金暮らしで、昼間暇があるので菓子を売っているだけだ。
 しかしながら私はチー店には頻繁に通った。他にも駄菓子屋はある。チー店よりもっと魅力的な駄菓子屋もあるにはある。だが、一軒は横断歩道を渡らなければならず、もっとも魅力的な店は国鉄の線路を横断しなければならない。友達とつるんで自転車で外出する際は、魅力的な方に行くが、日常は、チー店に依存しなくてはならなかった。
 それはチー店の営業努力でも何でもない。たまたま30mという距離だっただけである。チー店が私の心を掴んだのではない。チー店の傍らに生まれた私は先天的にチー店の客だったのである。私はチー店の駄菓子屋としての三流性を恨んだ。仮にチー店がなければ、歩道橋を渡るのも苦にならず、一流の駄菓子屋に通っていたのだ。
 そうこうしているうちに、そう、私が小学5年生の夏、滋賀県の安曇川へのキャンプから帰った頃からである。チー店のおばちゃんは、突然「ありがとう」を言わなくなった。元々、小さい声でしか言っていなかったので、最初は気にしていなかった。しかし何度行っても、「ありがとう」を返してこない。頑固なまでに言わない。時には母親から頼まれたパンやたばこなどと合わせて駄菓子を買った時、つまり、高額の買い物時にも「ありがとう」と口にしなかった。                 
 私は妹にその事実と不快感を伝えた。争いごとが嫌いで寛容な妹は些事を問題視する私の姿勢をインネン的と返してきた。
 その後もおばちゃんのありがとうの沈黙は続いた。些事ではある。しかし毎日通う駄菓子屋のかかる態度は妙にひっかかった。子どもにとって駄菓子屋は学校に勝るとも劣らぬくらいに重要なのだ。
そんなことなら、はじめから「ありがとう」を言わなければいいではないか。かつては小さい声ではあったが、確かに口にしていた。それが一切なくなるとは後退ではないか。もともとやる気もなく、対応が悪いことくらいは十分承知している。それを改善してくれとは思わないが、せめて、悪いなりにも〝サービス〟を維持して欲しいものだ。
 些事であるがゆえに、おばちゃんにそのことを指摘する勇気もなかった。妹は全く問題視していない様子であるので、この悩みは私ひとりりで抱え込まざるを得なかった。そのことはイライラをつのらせ、大きなストレスとなっていた。
 
 そのうち私は中学生になった。学区も広がり行動範囲は広域化した。加えて、駄菓子に対しての興味も減っていった。また、「ありがとう」を言う、言わないの問題など、どうでもよくなった。要するに大人になったのである。チー店のおばちゃん問題はもはや問題ではなくなった。
 その後私は医療関係メーカーの営業マンとして社会に出た。そんなある日、業界紙を読んでいると、次のような記事があった。
【A社、ボイスモザイクをB大学と共同開発、来春にも販売開始へ】
医療機器メーカー大手のA社は、ある特定の音だけを遮断する耳栓、商品名ボイスモザイクをB大学との共同研究で開発したと発表した。これまでの耳栓では全ての音が遮断されていたが、このボイスモザイクを使うと遮断したい音だけを遮断し、必要な音は聞こえる。耳栓中に、ある特定の音波・音質だけを通さない特殊なフィルター(膜)が内蔵されている。すでに光通信の分野では、特定の波長を通さないフィルターが波長を分岐する光部品として実用化されているが、A社は音波のフィルターを実用化した。
ボイスモザイクのキーデバイスである膜は、アフリカや南米が主な原産であるが、国内では北海道の天塩川、滋賀県の安曇川などでも採れ、同社はすでに採掘権を取得した。
来春にも販売予定で、冷蔵庫の低音に悩む人の安眠用具として、また騒音地域の防音策などの市場を見込んでいる。価格は1セット1万円程度。

 安曇川――私はハッとした。
 私はB大学へ向かい耳鼻科を訪れた。耳を診察してもらうためだ。耳の中からは膜が出てきた。膜を分析したところ、ある音だけを遮断する膜であるという。B大学の教授は「10年以上前に採られた膜ですね。何かのきっかけであなたの耳に入ったのでしょう。子どものころ、天塩川か安曇川に行かれたことはありませんか」
遮断される音の音波・音質を説明してくれた。「説明してもわからないでしょう。シミュレーション機で遮断される音を再現してみましょう」
チー店のおばちゃんの声だ――。しかもこの音の、「あ、り、が、と、う」のみをカットする特殊な膜であるという。
 チー店のおばちゃんは「ありがとう」を言っていたのだ。おばちゃんに問題があったのではなく、ワタシ側に問題があったのだ。
私はチー店のおばちゃんに濡れ衣を着せたことを猛省した。週末帰省し、チー店を訪問した。意外にもチー店は存在した。しかし、おばちゃんの姿はなかった。寝たきりで入院しているという。
 私は病院を教えてもらい訪れた。息子夫婦が看病をしていた。「こんな寝たきりになってしまった。もう耳はほとんど聞こえない状態です」
 私はますます悲しくなった。詫びの言葉を吐いても聞こえないなら自己満足でしかないが、伝わらないのを承知で謝罪した。
「ごめんなさい」
 すると、チー店のおばちゃんは反応した。息子夫婦も驚いている。耳が治ったのか。しかし、他に話し掛けても、聞こえている様子はない。
 おばちゃんの耳が検査された。おばちゃんの耳の中からは膜が出てきた。私の音波・音質の「ご、め、ん、な、さ、い」のみを通す膜だった。
                                 
【エピローグ】
政府統計によると、1972年に13万6000店あった駄菓子屋(菓子小売業)は2016年は1万5000店と激減している。乱立どころか、めったに駄菓子屋は見かけなくなった。この作品は駄菓子屋のおばちゃんと少年をめぐる1970年代の〝時代小説〟である。

(文字数2,763字)

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